拾伍話





 香月は、この世界を1つの木になった無数の果実に例えた。
 その果実1つ1つが世界であり、根本的には繋がっていると。
 しかし結局の所別の世界である。
 そんなところに自分の知っている人間どころか、自分自身が居るとは考えもしなかった。
 しかし、ではあれは誰だ?
 自身と同じ姿形をしたあの少女は誰なんだ?
 香月が言った「リオ・レムレースという人物は存在しない」という言葉。
 これはそのままの意味ではなく「リオ・レムレースという名前の人間は存在しない」という事ならどうだ。
 この世界で「トウカ」と命名された少女が別の世界では「リオ・レムレース」と命名された。
 そう考えるなら、自分はこちらの世界での「トウカ」と言うことになる。
 名前と性別の不一致で片づけられる物ではない。
 ………いい加減自分を誤魔化すのは辞めよう。
 「リオ・レムレース」とは他人と自分の希望を合わせて造った名前だ。戸籍上で正確に記されていた名前ではない。
 あの女に拾われてからは「リオ」と名乗らされた。その前、物心付いた頃にいた施設では「レム」と名付けられた。
 では、その前は?
 生まれた直後は何と呼ばれた?
 解らない。
 自分を捨てた親に興味など湧かなかった。
 生まれ、出生を探ろうともしなかった。
 その結果がこれだ。
 自分は誰なんだ?
 ボクは誰なんだ?
 ワタシは誰?
 ああ解らない。頭が煮えるようだ。
 視界が回っている。頭が痛い。
 音が聞こえる。
 頭に響く。




 ボンヤリと目を開けると相も変わらず薄汚れた天井が目に入った。そこから自身はベッドの上で寝ているという状況を理解するまで、随分と時間がかかった。
 耳障りなラッパ音が響く。起床用の点呼ラッパの筈だが、時計を見ると本来の起床時間まで、まだ随分と時間があった。
 まさか時間を間違えた訳じゃないだろう、と上体を起こしたリオ。
 その瞬間ガンッと鈍器で頭を殴られたような錯覚を感じた。
 そのままベッドに突っ伏すリオ。突然に襲ってきた激しい頭痛に、声も出せず頭痛に悶える。
 ようやく波が去り、どうにか身を起こせるレベルに回復したのは、十数分経過した後だった。
 拷問にも等しい時間を過ごし、何とかベッドから這い出し、洗面台へと向かうリオ。蛇口を捻り、冷水で顔を洗い、正面の鏡へと視線を向け、息を呑んだ。
 鏡の中に少女が居た。
 幽鬼のように頬がこけ、真っ青な顔色。髪の毛はざんばらんに顔面を多い、その間から見える瞳には暗い鬼火のような光が灯っていた。そしてひび割れた唇がゆっくりと吊り上がる。
 それが笑みを表していると解ったのとリオが叫び声を上げるのとどちらが早かっただろうか。

「うわぁぁああっ!?」

 その声で、ふと鏡に映る物が変わった。そこに映っていたのは大仰に驚いたリオ自身の顔だった。
 自分は寝惚けていたのだろうか。
 あまりの無様さにようやくリオの口から乾いた笑いが起こる。一体何に怯えているのか、自分自身でも判断できないまま、無機質な笑いが続いた。

『防衛基準態勢2発令。全部隊は完全装備で待機せよ。繰り返す、防衛基準態勢2発令……』

 そんな彼の笑いを掻き消したのは突如として響いた合成音声だった。いきなり穏やかでない放送に、こんなことをしている場合ではないと、我に返ったリオが手早く身支度を整え部屋を飛び出る。
 何故彼は気付かなかったのだろうか。あるいは気付いていたが無視したのだろうか。
 乾いた笑みを浮かべた自分自身が、鏡に映った少女とそっくりだったことに。




 リオが到着した時点で、既にブリーフィングルームには何人か集まっていた。女性が3人集まれば姦しいと言われるが、その倍以上集まっている場合どうなのだろう、と中身のない感想を抱きつつ、集団には加わらずさり気なく壁際へともたれ掛かる。
 ブリーフィングルームの誰もが困惑を隠そうともせず、思い思いの言葉を口にしている。新任達だけでなく、速瀬や宗像など分隊長レベルの人間がその輪に入っている珍しい光景を眼にしながら、ボンヤリと推測を建てる。
 まず一番に考えられるのがBETAとか言う生体兵器による侵攻。世界中にある奴らの巣である「ハイブ」の存在箇所と日本本土の位置関係を鑑みて、BETAの出発場所はサドガシマという島かチョウセン半島という2つが最も近いだろう。
 しかしいつか見せて貰った日本地図とかいう地図上で見ると、今自分達が居るヨコハマ基地はさきほど挙げたハイブ2つから最遠方の筈。途中にある帝国軍や国連軍の基地を素通りできたとは思えないし、それにBETA出現時は緊急コードが設定されているはずだが、先程の基地内放送ではそのコードを聞かなかった。
 つまり今何かしらの問題を起こしているのはBETAでない可能性の方が高い。
 となると、次に考えられるのは自然災害か。地震、台風、竜巻、火山噴火、上げればキリがないが、なるほど軍が出動するというのも頷けるレベルだ。確かにこの日本という国は世界でも有数の地震大国、火山帯国であると聞く。
 が、それならそれで前兆の1つでもあるだろうし、わざわざ情報封鎖する程のものとも考えづらい。自然災害ならむしろ、積極的に情報開示・交換を行い援助しあおうと考えるだろう。
 さて、これもハズレか。あと最も考えられる原因は………。
 そこまで考えてリオは自身の思考に苦笑した。あまりにも簡単な答えを見逃していたからだ。
 軍が出動する程の事件で、尚かつ情報開示を規制される。そんな事は1つしかない。
 すなわち反乱、暴動、クーデター。まぁ呼び名は人様々だが、結局の所原因が「人間」であることには変わりない。もしかしたらもう少し進んで戦争かな?
 元の世界ならさして悩む必要もなく、騒動の原因を「人間」と決めつけられていただろうに、このある意味平和呆けした思考は拙いだろうと、リオは内心溜息をついた。
 できることなら今すぐ敵対部隊や装備の有無など情報収集を行いたいが、目の前で喧々囂々話し合っている少女達は役に立たないだろう。彼女達が意図的に隠している、とも考えられるがあまりメリットをない。
 ブリーフィングルームに集められたということは、どうせしばらくすれば伊隅の口から聞かされることからだ。
 ならば古参はどうだろうか。そう思ってぐるりと部屋を見渡す。
 お目当ての人物は直ぐに見付かったが、彼女は腕組みをしてじっと瞼を閉じ項垂れていた。

「如月少尉、どうかしたんですか?」

 その人物に近づくリオ。その言葉に薄く瞼を開け、僅かに如月が顔を向けてくる。髪が掛かりその隙間から覗く黒い瞳が妙に暗い色を持ってリオに視線を向けた。
 ボンヤリとしたその瞳とその上に走る巨大な傷跡が痛々しい。

「眠ぃんだ……悪ぃがちょっとほっといてくれ」

 ぼそりと呟いた如月は、また腕を組み直し瞼を閉じる。はぁ、と生返事をしたリオに構わず小さく寝息を立て始めた彼女は、周辺からの接触を拒んでいるようにも見えた。
 眠いならそれも仕方ない、と邪魔をしないよう距離を取るリオ。

「らぎっちどうしたの?」

 唐突に背後から聞こえた声に飛び跳ねるように反応した。

「なぁ~にそんなに驚いてるのかしらねぇ……で? らぎっちどうしたの?」

 リオのあまりな反応に、じとーと半眼で視線を寄越してくる朝光。どんな人間だろうと背後から急に声を掛けられれば驚くだろう、と内心悪態を付きながら如月本人から言われた事を伝える。

「ん~………らぎっちも人の子ってことかしらねぇ」

 1人離れて項垂れている如月の視線を向けながら朝光がそんな事をのたまった。

「それは朝光中尉も、ではないですか? 珍しく集合が遅かったようですが………」

 瞳に意地の悪い光を灯して宗像が言葉尻を拾う。言外に貴女も寝坊したのでは? と語ってくるその瞳に対して朝光はやれやれと肩を竦めた。

「だって、この娘を呼びに言ったら既に部屋にいないんだもの。おねーさん余計な手間かけられちゃったわ」

 ポンポンとリオの頭を叩きながら朝光が事も無げに言い放った。リオが何か言う前にその言葉に宗像が笑みを刻む。

「ははぁ……朝から同伴出勤とは流石ですね。しかし、私としてはそれほど小さい男で満足できるかどうか……」

 からかいを含んだ言葉に、朝光は余裕の笑みを返した。

「甘い、甘過ぎるわねぇミサさん。志津恵ちゃんの特性天然食材使用菓子より甘いわ。大きさなんて所詮オマケよん。必要なのはテクニック、そして勢いよ。それとも何かしら? ミサさんは大きさのみで男を判断するのかしら?」

「む……」

 王者の風格を漂わせて朝光が言い切った。言葉を詰まらせる宗像に風間がそれとなく兜を脱ぐよう促す。

「美冴さん、今回は朝光中尉の勝利のようですよ? 私も美冴さんが男性を大きさのみで判断するなどとは思っていませんわ」

「勿論だとも梼子……仕方有りません。朝光中尉、今回は負けを認めましょう、しかし次回はこそは」

「んふふ~、何時でも受け手立つわよぉ」

 様になっているウインク1つを寄越した後、互いに健闘を讃えあう女性達。流れに付いていけなかったリオが、ようやく当初から浮かんでいた疑問を朝光へとぶつけた。

「というか、何でボクを呼びに来たんですか?」

「え……何でって、気になったからじゃない」

 何を言い出すのかと言わんばかりの朝光の回答。それにさらに疑問を被せるリオ。

「だから、何で気になったんですか」

「何でって……ほら、リオちゃんがこの部隊に来てから初めての緊急呼集じゃない? もしかしたらびっくりしてるかなーとか考えちゃって……」

「いえ、意味が分かりません。わざわざ朝光中尉が気に掛ける程の事じゃないでしょ?」

「いやそれはその、ほら、おねーさんはおねーさんなんだし、リオちゃんのことも気になるって言えば気になるのよ」

「それはボクが似てる……」

 しどろもどろになりながら朝光が呟く。それが建前だと言うことに気が付いたリオが一言を呟こうとした瞬間、ブリーフィングルームの扉が開いた。
 言葉を中断してそちらに目をやれば、部隊長の伊隅とCP要員の涼宮。リオと朝光が問答を開始する間もなく伊隅が部屋を見渡し後口火を切る。

「……全員揃っているな。急な招集で驚いただろうが今から状況説明を……如月、起きろ」

「ん……悪ぃ」

 本当に眠りこけていたのか、頭を振りながら意識を覚醒させている如月。先程までの騒動を前にして眠っていたというのは少々異常であるが、今はそれを追求している場合ではない。
 伊隅もそう認識したのか、軽く一瞥するだけですぐさま視線を全員に行き渡らせた。その表情が妙に強張っていることに気が付けたのは何人いただろうか。
 1度目を閉じ大きく息を吐いた伊隅は、何か覚悟を決めたように言葉を紡ぎ出した。

「本日未明、日本帝国内でクーデターが発生した」

『!?』

 伊隅とリオを除いた全員がほぼ同時に息を呑む。もっともリオ自身も驚いていると言うことには変わりない。ただ、周りより反応が薄いだけだ。

「現在、帝都守備隊を中核としたクーデター部隊は、首相官邸、帝国議事堂、各省庁等の政府主要機関を制圧している。また各政党本部、主立った新聞社や放送局、主要浄水施設や発電所も掌握している」

 伊隅の言葉は、発生から数時間しか経過していないにも関わらず日本の中枢をほぼ制圧されている、という驚きも含んでいた。
 何処かの地方都市が制圧されたのではない。将軍の座する帝都が既に反徒達の手に落ちているという事実が、事態の深刻さを一層強め、日本人である少女達の心理に揺さぶりを掛ける。

「ず~いぶんと手際が良いわねぇ……」

 眼を細めぼそりと呟いた朝光は無視して、さらに伊隅が説明を続ける。

「先程最後まで抵抗を続けていた国防省が陥落。また、未確認ではあるが帝国城の周辺で斯衛軍とクーデター部隊との戦闘が発生したとの情報もある。この現状を受け仙台臨時政府は将軍と帝都奪還の為の討伐部隊を集結中だ」

 沈黙の降りたブリーフィングルームに伊隅の声だけが淡々と響く。

「仙台臨時政府によりクーデター部隊の首謀者は帝都防衛第一師団、第一戦術機甲連隊所属沙霧尚哉大尉と判明。そして……榊是親首相以下官僚数名がクーデター部隊により暗殺された。首相達を国賊と見なし沙霧大尉自ら手を下したそうだ」

「榊首相って……」

「千鶴、大丈夫かな……」

 不安げに呟く柏木と涼宮。何やら心配事があるようだが今は構っていられない。

「この現状を受け在日国連軍は……」

「大尉……その事ですが」

 何か言いかけた伊隅に、内線で遣り取りをしていた涼宮が耳打ちをする。呟かれた内容によって、伊隅の眉間に皺が寄った。

「……そうか。本日0700時より安保理は『何故か都合良く』展開していた米国第7艦隊を国連緊急展開部隊に編入。以降彼らが各地の在日国連基地に飛ぶ」

 いくつかの単語を強調し、彼女にしては珍しく感情を込めて言い放つ伊隅。傍らで小さく如月がクソが……と吐き捨てていた。感情を露わにする彼女達を見ていながら、リオは不思議に思っていた。
 この世界はBETAと呼ばれる化け物と戦っていたのではないのか? と。

「我々は……」

「大尉、声明発表始まります」

 脇に控えていた涼宮が伊隅の言葉を遮りこそりと告げる。

「ん……涼宮回線を開け。全員、この騒ぎの現況がお出ましだ。どんなご高説かたっぷりと拝聴しようじゃないか」

 そう言って振り返り背後のモニターに目を向ける。若干のノイズの後、そこには若い男が映し出されていた。

『親愛なる日本国民の皆様、私は帝国本土防衛軍帝都守備隊連隊所属、沙霧尚哉であります……』

 その映像と言葉にリオの口から感心したような音が漏れた。随分と大それたクーデターを起こすから、どんな強面の軍人が出てくるかと思えば、画面に映ったのは優男と受け取られても無理はない青年。しかもこの青年、精鋭である帝都守備隊所属だという。
 人は見かけに寄らない……と人のことを言えないリオを後目に、沙霧の演説は続く。
 沙霧自身、自分の言葉に酔っているような、熱に浮かされているような口調で発するその演説は、聞く者を自然と引きつける要素があった。
 もっともそれはこの世界の人間相手の話。リオにとってはただ単に言葉を並べられているようにしか感じ取れない。
 彼の演説を掻い摘むとこうだ。
 軍や政府は自身の安全や効率の為にしか動いておらず、一般国民に無理を強いている。しかもその実情を最高位である将軍殿下に報告していないばかりか、殿下からの慈悲でさえ利用している。つまり国を統べるべき将軍と、国を作るべき国民の間が分断されていると言うのだ。それを分断した張本人―――軍政府を何とかしなければ遠からずこの日本という国は滅びるとまで言っている。そして、内政干渉してきた国連に対しては、混乱は収束に向かっているから手を出すなとの事。早い話が邪魔をするなと言っているのだ。

「………はぁ」

 リオの口から溜息が漏れた。演説の素晴らしさに、ではなくあまりにも似た構図を知っているからだ。
 統治を目論んだ企業群と、その支配を嫌った武力集団の衝突。
 元の世界で起きたその構図は、今目の前で起きているクーデターという実状とよく似ていた。企業群がこちらの世界で言う軍政府、武力集団がクーデター部隊と言った所か。しかも、武力集団側が事を起こした後のことを考えていないと言う所まで一緒だ。思わず苦笑を浮かべようとして、周囲がとてもそんな雰囲気でないことに気付いたリオは頬を引き締める。
 未だ続く言葉の羅列を、もういいと手を振って途切れさせた伊隅はくるりとこちらに振り返り、全員を見渡した。彼女自身、能面を装っているが内心が揺れ動いていることが解る。
 国連軍である以上に、1人の日本人である彼女の心は、僅かながらでも先程の演説に共感してしまう部分があるのだろう。
 むろん、それは悪いことではないが、今の状況では危険だ。しっかりと地面に脚を付けていなければ足下を掬われることとなる。
 小さく息を吐き出した彼女は、普段通り冷静な口調で言葉を発した。

「現在、横浜基地では第1機甲大隊並びに第5航空支援大隊を即応部隊として待機させている。我々は香月副司令直轄部隊であると共にこの基地の精鋭だ。何時お呼びが掛かるとも解らない。全員心構えはしておけ」

 その言葉に室内の空気が硬質化した。
 伊隅の言う心構えというは一体何か。
 実戦に出ることか? それとも仲の悪い米軍と共同戦線を張ることか?
 いや、そんなことではない。実戦に出れば必ず起こりえること。
 敵性物体を破壊する―――人間を殺す、ということ。
 その言葉に女性陣の、取り分け新任達の表情が強張る。緊張と不安、怯えと動揺をごちゃ混ぜにしたその表情は、彼女達が自分とは違うと言うことを如実に語っていた。明確に自信の内心を露わにしている少女達を嘲りと呆れを含んだ視線で見るリオ。
 彼は一体何を馬鹿にしているのか。
 突発的なクーデターだろうか。
 それとも先程の目の前しか見えていない演説だろうか。
 それともたかだか人を殺すかもしれないと言われたぐらいで動揺している目の前の小娘達だろうか。
 おそらく全部だろうと吐き捨てリオは、能面で、それでいて何処か投げやりな表情に戻る。

「本日は一切訓練は行わない。その代わり0800より全員格納庫にて着座調整に入れ。……ああ、それと今朝は早かっただろう? それまで仮眠でも取っておくことだ」

「敬礼っ!」

 最後に表情を緩め、言葉を付け足したのは伊隅なりの優しさだったのだろう。それに応えるように普段より一層強く言葉を放った速瀬に彼女を含む全員が一糸乱れぬ敬礼を行う。
 それを満足げに、そして一抹の悲しさを含んだ視線で確認した伊隅は、なんら言い残さないまま部屋を後にした。
 彼女の去った部屋に残ったのはしばしの沈黙。誰もが何かを迷うように視線を彷徨わせ、何か一歩を踏み出せないような空気が漂ったブリーフィングルーム。
 その中で先陣を切ったのはリオだった。まるで、動かないならそれでも良いと言わんばかりに、1人さっさと出ていってしまう。そうの姿に感化されてか、それとなく視線を合わせた何人かが後に続いた。




 格納庫へ訪れた彼らを迎えたのは、先程のブリーフィングルームとは正反対の喧噪だった。そこかしこで怒声があがり、機械の駆動音が轟音を奏で、五月蠅いことこの上ない。全機実弾装填だ、と聞こえる怒声とさらに格納庫全体に広がる異臭がその場にいる全員の気を苛立たせていた。

「うっわ……こりゃまた凄い臭いね」

「全通換気してこれですから。整備兵の皆さんも大変でしょう」

「その、大変、の中に私達も混ざらなくてはいけないのだが」

 足を踏み入れた途端顔を顰めた速瀬に、風間と宗像が同意の言葉を返す。彼女達の言うとおり、ヴァルキリーズ専用となっている第19格納庫はその内に包んでいる空気を清浄とは言いがたい物へと変貌させていた。
 その原因は今目の前で行われている機体の塗装変更。元々鮮やかな蒼系の色に染められていた機体は、今や見る影もなく暗い色へと変貌している。機体各所に示されていたマーキングは言うに及ばず、機体番号すら塗りつぶされていた。
 何故色を塗り替えるか。
 それは今回の目標が自分達と同じ人間だからである。そもそもBETAが相手ならわざわざこんな作業はする必要はない。むしろ識別をハッキリさせる為派手な塗装の方が好まれる程だ。誰々が何処にいてどのような状況か、ということを一瞥出来るように機体番号やマーキングを描くのである。
 だが、人間相手なら逆に目立たない方が都合がいい。
 戦場では一瞬の判断速度が自身を生かすか殺すかに直結する。それ故相手が人間の場合、出来うる限り特徴を無くし周囲と同じにする必要がある。
 もっとも、それは同一機体で部隊編成した場合だ。いくら混ざっていると言っても機体そのものが特徴的で有れば意味は薄いと言える。
 つまり。

「リオの機体は変更無しっと。もともと夜間迷彩っぽいし、そのままにされたのかな」

 自分の機体を見比べながら涼宮が漏らす。彼女の言うとおり黒い濡れ羽色で染め上げられた機体は夜間迷彩といえなくもない。

「それ以前に手を加えられてないように見えるんですけど……あ、でも武装は元に戻ってる」

「ホントだ。しっかしあの左手の武器大きいよね。あれって何て言うの? 控えめに見ても滑腔砲と同口径じゃないよね。もっとも大きな……高雄級の主砲と大きさなら良い勝負じゃない?」

「正式名称はCR-WH05BP……って解りませんよね。まぁ通り名で言うならバズーカです」

「へぇー、BETA用にこんなのも開発されてたんだ。確かに見た限り突撃級にも有効だし威力はあるよね……ねね、今度私にも撃たせてくれない?」

「そいつぁ無理だ。不知火じゃ持った瞬間に腕がもげちまうよ」

 喧噪の中でもよく聞こえる濁声が後ろから響いた。

「あ、久志貴主任」

「ボウズの機体じゃ多少変更した所で意味がねぇし、そもそも機体形状からして違うからな。下手な迷彩するよりはこっちの方が良いだろうってこった」

「でもさ、その分判別されやすくなっちゃうんじゃないかな? その……敵に」

 最後に若干力無く呟いた涼宮の言葉は、彼女自身が同じ人間を敵と認識出来ていない事を如実に語っていた。それをあっさりと切り捨てるリオ。

「敵が何だろうと関係ありませんよ……それより主任、弾薬補給の目処は立ってますか? まさかこれっきりって訳じゃないですよね?」

「その点は抜かりねぇぜ。少なくとも両手兵装の弾薬に関しては目処が立ってる。で、補給に関しちゃ専用コンテナまで手配されてるぜ。推進剤も流用が効くから問題ねぇわな」

「残りは?」

「誘導弾と電磁投射砲に関しちゃ手配が間に合わなくてな……在庫浚ってみたが誘導弾は約半分、投射砲に関しちゃ補給は無しって状況だな。で、補助兵装……インサイドって呼ぶのか? ありゃ弾種が特殊すぎる。そうそう転がってるモンじゃねぇぞ」

 その言葉に怪訝な表情を浮かべるリオ。緋稲田の口から特殊と言われたことも関係しているが、それ以前にこの世界ではCR-184RN―――ナパームがあまり使用されないことも関係していた。

「どうしてですか? 生体……BETAには結構有効な兵器だと思うんですけど」

「効果点だけ見りゃそうなんだけどよ、戦術機に搭載出来る量なんてたかが知れてるだろ? しかもそれほど面制圧の効果が高い訳じゃない。使い所さえ間違わなけりゃ有効なんだろうが、その使い所がシビアすぎんだ。それならその重量分突撃砲の弾薬保持した方が有利だろ?」

「両方持たせ……意味がないですね。機動性が殺されますし」

「そういうこった。俺からすりゃあんだけ積み込んどいてマトモに動けるお前さんの機体の方がおかしく見えるぜ。一体ありゃ何処製なんだ?」

「それは機密……と副司令から言われてます」

「ヘイヘイ、野暮なこと聞いちまったな。まぁ俺は整備に戻るからよ。何かあったら呼びつけるぜ?」

 ポンっと軽くリオの頭を叩くと、緋稲田はそのまま列を成している戦術機の群れに消えていった。
 と、リオと緋稲田の遣り取りを見ていた涼宮がボソリと呟く。

「まるでハリネズミみたい。そんなに必要なのかな……?」

 重装備の機体を見上げながら疑問を投げ掛ける少女に、リオはさも当然と言ったように言い返す。

「何が起こるか分からない以上どんなに持っても安心はできません。それにボクの機体は少尉達の機体より保有弾薬量が少ないですから、積めるだけ積むのは常識かと」

「でもさ……使うかどうかは……」

「死にますよ」

 分からない、と続けようとした涼宮の言葉を遮って冷めた表情でリオが一言言い切った。涼宮はその言葉の真意をつかみ取れず、間抜けに聞き返す。
 いや、おそらく彼女も分かっているのだろう。ただ認めたくないだけだ。

「戦場に出たら迷いは禁物です。撃たれる前に撃つ、それが常識でしょ? 一応戦場ってモノを体験してるんでしょ? まさか素人みたいに怯えてる訳じゃないですよね?」

「なっ……そんなことある訳ないでしょ!? ただ相手は……人間だし……BETAとは……」

「一緒です。自分に危害を加えてくる相手に対して種族の違いなんて有りません。危険に晒されたくなければ、その原因を取り除くのが一番です。動けば撃つ、じゃ遅いんですよ。撃つと動く、ぐらいやれないと」

 言い切ったリオに、涼宮は視線を向けてくる。その視線に驚きと僅かな憐憫が含まれていることに気付いたリオが表情に不愉快さを付け足した。

「……何ですかその眼は」

「リオは直線的すぎるよ……どうして二分化で考えるの?」

「目の前で仲間を殺されればそんなことも言ってられませんよ……とにかく、迷いがあるなら隊長に申告しますよ? 暗示と薬の世話になりたくなければしっかりしてください」

 面倒事を増やすな、と言外に語るリオ。その言葉に涼宮が溜息をついた。

「わかってるよ……ただ……」

「まだ何かあるんですか?」

もはや嫌そうな顔を隠そうともせずリオは振り返る。それにやはり憐憫を湛えた視線を向けながら涼宮は言い放つ。

「そうとしか考えられないなんて……可哀想だよ?」

 その言葉の響きは哀れみ以外に取れなかった。その響きが、彼女達より戦場を知っているというリオの自尊心を傷つける。
 喉元まで込み上がったリオの言葉を押し止めたのは、整備兵達の喧噪だった。

「おい、外見て見ろよ! 大騒ぎになってるぜ!」

「口動かす前に手を……ってなんだありゃ!? 何で此処に!?」

「てめぇらおたつくんじゃねぇぞ! 見てぇんなら仕事終わらせてからにしやがれっ!! 手ぇ抜いたらはり倒すぞっ!!」

 動揺の走った整備兵達を緋稲田が一喝しているのを後目に、リオは外へと走り出す。整備兵達の喧噪の原因が知りたいという考えもあったのだが、本心は涼宮の視線に耐えきれなかったのだ。
 あのままあの場所にいては、何時涼宮に殴り掛かるか分からなかったのだから。




「これはまた……」

 リオの銀色の瞳が映した光景。それは彼の居る横浜基地を、完璧に包囲している戦術機の群れだった。撃震、陽炎と日本帝国の正式採用機体が、まるで展示物のように並んでいる。と言っても件のクーデター部隊ではないらしく、交戦する意志はないように見える。どちらかというと見張りの様な気配だ。
 何しに来たんだ、と誰ともなく呟いたリオに背後から答えが返ってきた。

「監視だよ」

 声に振り向けば、サクサクと歩み寄ってくる如月。こちらを包囲している機体に目をやりながら、若干安堵したような空気を纏っているように感じたのはリオの錯覚か。

「何のですか?」

「ん? わかんだろうが。ここは日本国内でこの場所は国連基地。しかも緊急展開部隊の受け入れ予定地となりゃ監視ぐらい寄越すのが普通だぜ」

「何の為に?」

「そりゃ米国の奴らが日本で好き勝手しないようにだろ。こっち見捨てて逃げた連中が今更手を貸しますなんて言った所で信用なんて出来る訳ないしな。妥当な対処だろうよ」

「……そのためにわざわざ戦力割いてるんですか?」

「あん? ……ああまぁそうだな。でもな、主権国家の意向無視したように乗り込んできた連中を手放しで歓迎出来るか? ましてやその連中は過去に裏切ってんだぜ」

「普通なら出来ません」

「だろ? しかも機動艦隊まるまる一個持ち込みやがって……どれだけ厚顔無恥なんだよアイツらは。だいたいこっちだけでケリが付くって言ってんのによ……」

「国連軍の狙いってなんですか?」

「んなもん、アジアでの発言権回復と日本国内の反米感情の一掃だろうよ。無駄な足掻きだとも知らずにご苦労なこった」

 はんっ……、と唾でも吐きそうな勢いで言い捨てる如月。分かり易すぎる反米感情と国連軍士官という肩書きが相反しすぎている。
 何よりリオが気にかかったのは如月の言葉。米国軍の行動は全くの無意味、と言っている言葉が、これから起こることを断定しすぎている。

「……どういう意味ですか?」

「……悪ぃがリオは日本人じゃねぇ。言った所で分からねぇだろうよ」

 軽く手を振る如月。同じ部隊とはいえ、設定上は他国籍扱いのリオには理解できないと
読んだのか。
 その反応がリオを苛立たせた。

「そうですか。じゃぁ別の国の人間として発言しても良いですか?」

「……なんだよ」

「正直に言いますよ?」

「……だから何だってんだよ。もったいぶらずにさっさと言えよ」

「じゃぁ遠慮無く」

 そう言って一度大きく息を吸ったリオは、勢いそのまま言葉を吐き出す。

「馬鹿ですか?」

「……は? 何言ってんだ」

「どんな意図が有ろうが、ごたごたを鎮めに来た人達を見張る? しかもそのために貴重な戦力を裂いて防衛線まで手薄にして? 馬鹿じゃなきゃ間抜けです。全然周りが見えて無いじゃないですか」

「どういう意味だ」

「今もしBETAが攻めてきたらどうするつもりですか? こっちに戦力裂いた御陰で防衛線突破されたらそれこそ本末転倒ですよ。主権だ何だ言ってる場合ですか? 目の前しか見えてない辺りクーデター部隊と同じじゃないですか」

「んだと……」

 如月の纏う空気が剣呑な物へと変化した。それに気が付く物の既にリオの口は止まらない。

「いいですか、『BETA攻めてきてみんな死んじゃったけど、日本国の主権は守ったから良いよね』で丸く収まると思ってるんですか? 死んだ人間に何が出来るんですか? せいぜい後世の人達に『あの国は目の前の敵よりプライドを優先して死んだらしいぜ。実に間抜けだ』って言われるのがオチですよ」

「てめぇ……巫山戯てんのか!?」

「巫山戯てる? 純粋に馬鹿にしてるんですよ! 前線の人達はくだらない政治なんかに付き合ってられないんですよ! 使えるモノはさっさと使うのが戦争の常識でしょうが!」

「そのために国一つ蔑ろにしていいってのか!? だいたい日本の中での事だろうが、米国なんぞが出張る事じゃねぇんだよ!!」

「日本の中のくせに収めれていないから国連が出張ってきてるんでしょうが! クーデター一つ鎮圧出来ないようで国が名乗れるとでも思ってるんですか!?」

「何言ってんだ!! クーデター起こした連中だって何も考え無しでやったんじゃねぇんだぞ! BETAだなんだつって国政無視して目先しか見えてねぇのはてめぇの方だろうが!!」

「プライドに凝り固まって思考停止してる連中に付き合わされたくないんですよ!!」

「そんなに嫌なら米国にでも尻尾振ってりゃ良いだろうがよ! あっちはまだ本土が戦場になってねぇんだから!! てめぇの居場所はここじゃねぇんだろっ!!」

 その言葉にリオの表情が大きく歪んだ。

「ボクの「居場所」があるならそうしますよ! 好きで……」

「辞めんか馬鹿者共が!!」

 白熱していた2人は冷水をぶっかけたように瞬時に口を閉じる。視線を向けた先には完璧に怒っている伊隅。

「如月! 仮にも国連軍兵士が一国を貶めるような発言をするとは何事だ! それにリオ! 貴様は逆だ! 一国に荷担するような言葉を軽々しく吐くんじゃない!」

「………」

「いいか、貴様等! 分からないなら何度でも教えてやる!! 此処は国連軍所属横浜基地だ! そして私達はそこに所属している軍人だ! それ以上でも以下でもないことをよく頭に叩き込んでおけ! 分かったか!?」

「「了解……」」

「聞こえんぞ! 本当に理解したのか!?」

「「了解しました!」」

「貴様等頭を冷やせ。腕立て二百回だ」

 言葉を切った伊隅に従って、土の上に手を付き黙々と腕立てを開始する2人。お互いとも口を利かず視線も合わせない。
 それを眺めながら、伊隅は子供の喧嘩かと若干呆れると同時に、危機感を抱いていた。
 喧嘩だろうが何だろうが、作戦前に部隊内で亀裂が走ったからだ。
 だが、彼女にそれを修正する暇は与えられない。
 事態は既に彼女を嘲笑うかのように変化を続けていた。



 後書き
 ここまでお読み頂き有り難うございます。筆者のD-03です。
 今回よりクーデター編と言うことですね。まずはリオの苦悩と如月との衝突をお楽しみ下さい。
 なお本編主人公である白銀達とは一切絡まないことをお断りしておきます。と、言いますか、ここからほぼオリジナル展開となります。それに伴いオリキャラも出演いたします。そのような展開を嫌われる方はご注意下さい。
 さて、次回は……どうなるか筆者にも想像が付いておりません。欠員も出すべきかどうか未だに悩んでいる状況です。個人的に彼女は愛着があるので戦死は避けたいのですが……。
 何にせよ、できるだけ皆様方をお待たせしないよう努力していきますので何とぞ宜しくお願いいたします。
 では、次回もどうぞ、リオにお付き合い下さい。