「ん……」
言葉とも溜息とも取れない音を口から漏らしながらリオは瞼を開く。若干薄暗い部屋の中、無味乾燥な天井が目に飛び込んでくる。薄汚れた天井には申し訳程度に蛍光灯が備え付けられているが、今はまだ光を放っては居ない。
ボーっと半分寝惚け眼で布団から起き出し、体に巻き付いたシーツを引きずったままぐしぐしと目を擦りながら洗面台へと向かう。蛇口を捻り勢いよく流れ始めた冷たい水を掌へ溜め、一息に顔面に浴びかけた。
十一月もはや末日。外気に当てられ存分に冷えた水は冷たさを通り越して痛さを感じさせる程で、一回でリオの目を覚ませてくれる。冷たさに背筋を震わせ、ついでに顔を震わせ水滴を飛ばし、手近にあったタオルで拭き取る。
大きく息を吐き出しながら顔を上げればいつも通り色白な、それでいて幾分か血の気の戻った少年の顔が鏡に映りこんだ。鏡に映り込む自分自身が銀色の瞳で覗き返してくる。
ぺたぺたと顔を触ってみて異常がないか確認。一つ頷き納得するとベッドに戻り、再び掛け布団の中へ潜り込む。外界とは隔離された暖かい空気に包まれている内に次第に微睡みの中へ…………。
「って、違う違う」
危ない危ない、なんて呟きながら、再び身を起こすリオ。どうやら別の世界に来たからと言っても二度寝癖は直らないようだ。ベッドから抜け出し乱れた布団を手早く畳み、寝間着代わりのシャツをを脱ぎ捨て真新しい服を頭から被ろうとして、ふと少年は手を止める。
寒い部屋の中、裸の上半身に視線を落とし、そっと少年は自分の体に付いた傷に指を這わせる。
小柄な体には無理矢理塞いだ手術痕のような、不釣り合いな程の巨大な無数の傷跡が縦横無尽に走っている。まるで触れれば壊れると言わんばかりの慎重さでその傷を撫でている内に、段々と少年の表情が厳しくなっていった。
徐々に眦が吊り上がっていき、唇が形を変えていく。吊り上がった唇の端から犬歯が覗き、奥歯が歯軋りに似た音を立て、少年の表情を悪鬼にへと変貌させる。周りには少年に感化されどす黒く、重く変化したような歪んだ空気。
「っ!!」
唐突に、周囲の空気を揺らすように起床ラッパが鳴り響いた。その音に我に返ったリオは、自身の歪んだ唇を信じられないと言った表情で手で覆い隠すと、纏っていた空気を払うかのように頭を振り、自身の奥底に浮かんでいた感情を吹き飛ばす。
その行為に周囲は、先程までの冷やされた空気に替わっていた。
「うぉ、寒っ!!」
思わず自身の体を抱き締め叫ぶリオ。上半身裸で居ればそれもそうだろう。一気に鳥肌の立った肌をさすりながら、手早く服を着込んでいく。一通り着込んで落ち着くと大きく一度深呼吸を行い、再度鏡を覗き込んで外見上の異変がない事を確認すると、少年は部屋を後にする。ちりんと響いた小さな音が、彼の残した最後の痕跡だった。
主の居なくなった部屋で、無味乾燥な調度品達は静かに主の帰りを待つ。そしてその調度品の中で、洗面台に備え付けられた姿見となるはずの鏡は、その使命に違わず、主である少年の姿を映し続けていた。そして彼が浮かべた悪鬼の表情、それもまた克明に写していた。
眦を吊り上げ、唇を歪めたその表情。その唇の形が示した物は―――笑みだった。
「やっほーリオ! おっはよっ!」
「うわっ!?」
バンッ! とカウンターに並んでいたリオの背中が思い居きり叩かれた。危うく落としそうになったトレーをわたわたとバランスを取りながら保持し直すと、安堵の溜息を漏らしながら背後を振り向く。
恨めしそうな視線を向けた先に涼宮と柏木がいた。
「おはようございます」
とりあえず返事を返しておく。
「おはよ~ってリオ、敬語は良いって」
「癖です。気にしないで下さい」
だが、柏木からは返答があっても涼宮からの返答はない。何故なら彼女は、自分の掌に息を吹きかけながらピョンピョンと跳ね回っているからだ。食事を受け取りながらその珍妙な光景に首を傾げる。
「あははは、何やってるの茜?」
「だっ……! リオの………すっご……」
その姿に笑みを浮かべながら柏木がリオの内心を代弁する。だが涼宮は口をモゴモゴと動かし、言葉にならない声を吐き出しながら、今度は掌を振っているだけ。
「……痛ぁっ~! リオ背中硬すぎ! お肉付いてないんじゃない? ちゃんと食べてるの?」
目尻に若干涙を溜めながら抗議してくる涼宮。それとなく叩いた自分は棚に上げてリオの背中が硬かったことを責めている。なかなかに策士だ。
「あはは、茜それで跳ねてたんだ? 何、そんなに硬かったの?」
「硬いも何も。直に骨叩いたような感じだったし」
「へぇ~……じゃぁ私も……」
「辞めて下さい」
ぴしゃりと言い切ると、ちぇ~と本心から残念そうな声を出す柏木。リオが嫌がらなかったら本気で叩いていただろう。これ以上引っ張られないよう別の話題を引き出してみる。
「そういえば築地少尉はどうしたんですか? 少尉達いつも同期で固まってるでしょ?」
「あ~多恵は朝の冷え込みに弱いんだよね。特に最近は寒さが厳しいでしょ? いっつもギリギリまで布団に潜って丸くなってるんだよ、あの娘」
「猫みたいですね」
「猫みたいだよね」
あははと軽快に笑いながら、柏木が未だに手を振っている涼宮の分もトレーを持ち、きょろきょろと辺りを見回し空いているテーブルを見つける。3人で腰を下ろ、手を合わせる。
「「「いただきます」」」
ハモりながら、三者三様に食事に箸を付ける。因みに涼宮は合成鯖味噌定食、柏木は合成塩鮭定食、リオは合成カレーである。朝っぱらからヘビーな物を、と思われるかも知れないが、兵士という物は朝ご飯こそが一日の調子を決めるのである。もっとも、リオの場合一食でも抜くと激しくエネルギー不足になるので、カロリーは高めの方がいいのだ。
しばらく食器がふれ合う音だけが響くPX。
沈黙を破ったのは涼宮だった。
「ねぇねぇ、リオ」
既にカレーを三分の二ほど片づけて、お代わりしようかなどと考えていたリオに、唐突に声を掛ける。口が塞がっているので視線だけを動かし、気付いているという意志を返しておく。
「どう?」
………いきなりどうと言われても。水を啜り口の中のモノを呑み込んでやっと声を出す。
「で、何がですか?」
一通りの行為を終わらせて、改めて質問し直すリオ。
「だからー、どうなのって聞いてるの」
「いや、質問の中身が分かりませんけど」
「何よー惚ける気?」
「………」
何に対して惚けるんだ、とは一応年上の彼女には口が裂けても言えない。視線を柏木に移し、援護を求める。それに対し、意図を理解したのか苦笑を浮かべながら涼宮にツッコむ彼女。
「茜、主語が飛んでるよ」
「ん? ああ、ゴメンゴメン。ほら、リオがヴァルキリーズに入隊してからもう1週間以上経ったでしょ? そろそろ慣れたかなーって」
悪びれた様子のない彼女の謝罪を聞き流し、ふむと思案してみるリオ。慣れたという言葉が当て嵌まるかどうかは微妙だが、少なくとも彼女達から他人行儀な気配は受けないし、それなら自分も彼女達に慣れたと言えるのだろう。
「あー……まぁ、慣れたって言えば慣れました……けど」
決まり悪そうに、尻すぼみに答えるリオ。その答えが気に入らなかったのか、ずいっと乗り出してくる涼宮。姉とは違う意志力の強そうな橙の瞳で見つめてくる。
「けど、なに?」
「いや……何ていうか……個性的なメンバーだな、と」
その言葉に一瞬間が空いた後、盛大に柏木が吹き出した。
「あははははっ!! ハッキリ言うよね~リオって!」
バンバンと楽しそうに机を叩きながら笑う柏木に視線を向けながら、人の事は言えないんじゃないかと、内心で思う。とは言え、顔に出す訳にも行かないので適当に相づちを打っておく。
「じゃあさ、じゃあさ、その個性的なメンバーの中で、誰か気になる人って居る?」
横で未だに机を叩いている柏木は無視して、唐突に何の脈絡もなく涼宮が質問してきた。
「いきなり何でそんな話になるんですか?」
「またまたぁ、リオだって男の子なんだから。惚けたって無駄だよぉ~? ほらほら言っちゃえって。あんなに美人に囲まれて嬉しくないはず無いでしょ~?」
「自分で言いますかね……」
「うわっ、この子今かなり失礼なこと言った!」
「はいはいスミマセン。……で気になる人ですか?」
謝る気ないでしょ! と憤慨している涼宮を押さえ付けながら、未だに笑い顔の柏木がリオの言葉に頷く。無視して食事を続けるという手もあるのだが、このまま放っておくと訓練中以外全て質問攻めに合いそうな気がするので、適当な答えでお茶を濁すに限る。
「特にいません」
その答えにがくりと項垂れる2人。はぁ~……と、どちらからともなく重い溜息が聞こえた。
「……あのね、リオ。一応件の部隊に所属している人物が目の前に居るんだからもうちょっと気を遣ってさぁ……」
「いいよ晴子。リオから聞き出そうって考えた私が悪かったよ……じゃぁこっちから」
「何が『こっちから』ですか」
「今のところリオと関係が深そうなのって……あ、速瀬中尉だ」
「あー、そう言えばリオと速瀬中尉って仲悪いよね。なにリオ、殴られたこと未だに根に持ってるの? いい加減許してあげなきゃ駄目だよ? 中尉だって悪気でやったんじゃないんだし」
「いやそれに関してはどうでも良いんですが……なんでしょう、あの人とは根本的に会わないと言うか……」
「見れば分かるよ。でもさ、中尉もリオのことを嫌ってるってわけじゃないからさ。そこの所は分かってあげてね? それに……」
「それに?」
柏木がそっと隣を指差した。
「あんまり速瀬中尉の悪口言ってると茜に殴られるよ? この子速瀬中尉のファンなんだから」
「は、晴子ぉ! 普通それをここで言う!?」
ギャーと内心の叫び声が聞こえてきそうな涼宮の狼狽っぷりに目を丸くするリオ。
というかあの速瀬のファンとは。彼女もなかなかなチョイスをしたものである。確かによく考えれば似通っている部分があるし、それが速瀬の影響と言われれば理解は出来る。
「ああリオぉっ!! その『運命の選択肢間違えましたね』みたいな冷めた視線は辞めて! っていうか何でみんなそうやって驚くの!? 中尉は格好良くて立派なんだよ!!」
一言言い切って、自身が何を口走ったのか理解したのだろう。涼宮の顔が茜という名前に相応しく朱に染まった。照れ隠しに隣の柏木をトレーで叩き始める。
「それでね、あ痛、リオは、ちょ茜、もうちょ、痛い、よく考えて、ゴメンってば、対応し、痛いよ茜!」
「晴子が悪いんでしょ!」
口では痛いなどと言いながら、それでも笑みを浮かべている柏木。それに頬を膨らませて応える涼宮。何とも微笑ましい光景である。
その光景の御陰で柏木の言いたかったことがよく聞き取れなかったのだが。
「まぁ、速瀬中尉は無い方向で考えて……後は朝光中尉か……」
「晴子はどうなのよ?」
先程の腹いせなのか涼宮が柏木に質問する。それにん? と若干真顔に戻って応える柏木。
「私? 私もリオのこと気になるって言えば気になるけど」
「何でです?」
これは純粋な疑問だろう。再びスプーンを動かしながらリオが柏木に尋ねる。
「あれ、前に言わなかったっけ? リオは下の弟と近いって。なんだか他人の気がしないんだよね、だからさ」
ずいっと身を乗り出し青空色の綺麗な瞳がリオを覗き込んだ。その瞳は真摯そのもので、普段の軽快な彼女の意外な一面を見る事が出来る。その唇がゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「お姉ちゃんって呼んでみてくれない?」
「……は? 何でですか」
疑問を返したリオに、頬を掻きながら笑いを浮かべる柏木。
「いや~弟たちもすっかり生意気になっちゃってね、最近じゃ手紙でも呼び捨てなんて当たり前でさー、小さい頃が懐かしくって。で、リオなら下の弟に近いし、ちょっと呼ばれたらどんな感じかな~と疑問に思ったわけだよ」
「そっかー……晴子ももう随分と弟さん達と会ってないもんね」
「まぁ私だけじゃないし手紙の遣り取りも一応出来るから息災は分かるんだけど……やっぱりほらね? 何というか安心感みたいな物がさ」
「あ、分かる。私もお姉ちゃんって呼ぶ時ちょっとホッとするもん。ああ、1人じゃないんだって感じるからね」
自然と瞳に優しい光を湛えた涼宮が笑みを浮かべる。それに同調しながら柏木がリオに再び視線を向ける。
「と、言う訳で……」
「嫌です」
彼女の言葉を最後まで聞くこともなく、リオは切って捨てた。スプーンを動かしながら黙々と食事を続ける。リオの機嫌が若干損なわれたことを機敏に感じ取った柏木が、神経を逆なでしないよう、平静な声を出す。
「どうして? 良ければ理由を聞かせてくれるかな」
「ボクは利用されるのは嫌いなんです」
平坦な声で答えるリオ。
「利用って……何も晴子だってそんな風に思って言ったんじゃ無いでしょ」
その言葉に茜へと視線を投げ掛ける。その眼には妙に冷たい光。
「同じですよ。寂しいからって他人を使って埋めようとしないで下さい」
「……リオっ!? 少しは言葉選んで!!」
ガタンと椅子を蹴倒しながら立ち上がった涼宮に周囲の目が集中するが、彼女の目には周囲は映っていない。それほどまでに激昂するのは、友人に厳しい言葉を掛けたリオが許せなかったのだろう。
それを諌めながら席に着かせたのは他でもない柏木だった。
「良いって茜。間違いとも言い切れないんだしさ……しっかし、きっついな~。結構効いたね、今の言葉」
たはは~といつも通りながら若干力無く笑う柏木。流石に厳しく言い過ぎたかと罪悪感の生まれたリオは、視線を逸らし埋め合わせのように言葉を紡ぐ。
「模擬戦でボクに勝てたらそう呼んであげます。後は少尉次第ですよ」
小さく驚いた表情をした柏木は、次の瞬間にはいつも通り軽快な、そしていつもより喜びの成分を多めに増やした笑みを浮かべた。
「……はは、言うねぇ。よぉっし、ちょっと頑張ろうかな」
グッと握り拳を作る柏木。それを確認して胸を撫で下ろす涼宮。
「で、本筋に戻るんだけど」
「あ、まだ続いてたんだ、その話。」
「当然! 本当ならヴァルキリーズ全員の名前を挙げたいんだけど、時間も迫ってるし確信を付いていくね」
「確信?」
「そ。ねぇリオ。朝光中尉に関してはどう思う?」
ズバリと個人名を出した涼宮。それにウンザリした表情を返すリオ。
「もういいでしょ……」
「だぁめ。これで最後だから答えなさい。あ、特に無しって答えは無しね」
再びビシッとリオに指を突き付ける茜。この状況になると彼女は梃子でも動かなくなる。溜息を漏らしながら正直にうち明けるリオ。
「……まぁ中尉に関しては少しばかり思う所がありますけどね」
「「ええ!?」」
完璧に予想外と言わんばかりに大仰な反応を返す2人。それにさらに憮然とした表情を返すリオ。
「……人に尋ねといて何ですか、その反応は」
「いやぁ……まさかそう来るとは思わなかったからさ~」
「私も。てっきり『普通です』とかなんとかおもしろみのない返事が返ってくると思ってたんだけど」
「………ごちそうさまでした」
「ああっゴメンゴメン!! 謝るからその思う所ってヤツを教えて!!」
席を立ったリオの裾を引っ張りながらそれでも楽しそうな涼宮。わざわざ振り解く程の事ではないのか、大人しく席に着くリオ。
「で? で? 朝光中尉のどの辺が気になるの? やっぱりあの完璧な体型?」
「やっぱりリオも子供だからって甘くはないんだね」
「ちょっと待って下さい。やっぱりってなんですか、やっぱりって……違いますよ」
「え~……違うの?」
「何でそこまで残念そうなんですか……気になるのはあの人が妙にボクに構ってくるからですよ。それ以外にありません」
いきなりリオをちゃん付けで呼んで、自身の呼び名を指定し、さらには抱きついてきた彼女。誰もが認める美人なのだろうが、軽い態度の御陰で台無しにしている強襲前衛1番手。伊隅とは相反を成す、いわば裏のヴァルキリーズ隊長。
「あ~確かに。私はてっきり朝光中尉がそういう趣味だってことで納得してたけどね……でもなに? リオは朝光中尉に付きまとわれるの嫌なのかな?」
「嫌……かどうかは分かりませんが、何か企んでるって感じるんですよ」
ただでさえリオは「特別な」人間なのだ。しかも保持している機体も機密の塊。穿って見れば朝光が何かしらの情報を探ろうとしていると取れても無理はない。
が、その懸念はあっさりと柏木に笑い飛ばされた。
「あはは、ストレートだねぇ。まぁそんな危険人物は私達の隊には居ないと思うよ? 何たってあの香月副司令の直轄部隊なんだから。そんな人が居たら首刎ねられてると思うよ? 物理的な意味でも」
「あ、それは凄く納得出来る」
柏木の言葉に涼宮がうんうんと頷いた。
「じゃぁ今のところリオが気になる人は居ないと。それでオッケー?」
「オッケーでーす」
締めた柏木に納得したように頷く涼宮。何が、と尋ねようとしてふと視界に陰が墜ちた。その陰の主に視線を向けると何故か含みを持たせた京塚が立っている。
「あんた達、お喋りするのも良いけどね、早いとこ行かないとみちるちゃんに怒られるんじゃないかい?」
そう言って京塚が視線を壁掛け時計に向ける。その視線を追った3人は、同時に凍り付いた。
「あっりゃぁ……」
全員の内心を柏木が代弁する。
時計の示した時間。それはものの見事に集合時間を過ぎており、それはすなわち、3人の頭の上に雷が落ちる事を示していた。
ものすごい勢いで朝食をかき込んでいく女性2人。リオは幸か不幸か既に終えている為、さっさと席を立とうとする。と、その肩が京塚に押さえつけられた。
「……京塚曹長、放して貰えると嬉しいです」
努めて平静に出した声に答えるのは、満面の、それでいて反論を一切禁じる笑顔を浮かべた京塚。
「一蓮托生だよ」
リオの必死の抗いに、それ以上の力で対抗する京塚。リオの肩から京塚の手が退けられたのは、柏木と涼宮が食後の合成宇治茶を飲み干した直後だった。
ごちそうさま! と半ば怒声に近い声を上げながら解き放たれた獣のように席を立ち、カウンターに叩き付けるようにトレーを返し、先を争って飛び出していく3人。その後ろ姿を眺めながら豪快に笑う京塚。彼女の目には、先程までの光景がまるで仲の良い3姉弟のように見えていた。
ザッザッザッと地面を踏み締める足音が響く。
多数のそれはリズムも歩調をバラバラで、一見して規則正しい行進などではないと判断できる。だが、それを行っている人間達は必死で脚を動かし、少しでも前に前にと進もうとしている。そこには、誰よりも先に、そして絶対遅れてはならないと言う意志が見え隠れしていた。
いつもは飄々としている人物や、態度の軽い人物でさえ、口を真一文字に引き結び、または荒い呼吸を繰り返しながら体を動かしている。
何故なら。
「もっと足を前に出せぇっ! あと5分で完走できなければ10周追加だっ!!」
どこからか上がった抗議の悲鳴は、それ以上の音量を持った伊隅の怒声で掻き消される。
「文句を言う暇があったら前に進め、朝光!!」
走り終えた直後ながらグラウンド全体に響かんばかりの怒声であげる。その肺活量は羨ましいばかりだが、言われる方にとっては災難だ。
その中で一際集団から抜きんでているトップ走者―――速瀬と如月がラストスパートを掛ける。双方とも負けず嫌いな性格が災いして、トラックの傍らで声を張り上げる伊隅の視線に気付いていない。
にやりと嗤う悪魔の表情に。
「おっりゃぁぁぁあああ!!」
「こんのぉぉおお!!」
女性としては少々問題な声を上げながら気合い一発、ラストの直線で2人が並ぶ。約百メートルの距離は、最後の力を振り絞った女性2人にとっては一瞬の距離だった。
ほぼ同時にゴールラインを越える。徐々に速度を落とす2人。
だが、その先に先程の悪魔が待っていた。
「ほぅ? 突撃前衛の2人は体力が有り余っているようだなっ!? いいだろうっ、もう3周追加だっ!!」
「「何ぃぃぃっ!?」」
これ以上ないと言う程驚愕に満ちた速瀬、如月の声。それに対して満面の笑みで死刑宣告に等しい言葉を吐き出す伊隅。口角を軽く持ち上げにやりと嗤う表情は、本気だ。
「くそったれぇぇえっ!! 憶えてろよぉぉお!!」
「悪役か、お前は」
半ばやけくそに残りを走り出す如月に、伊隅が正確にツッコミを入れる。一度気を抜くと疲れが一気に襲ってくるため、その前に終えようと言う魂胆なのだろう。速瀬も声にならない叫びを上げながらその後に続く。
そんな光景を見ながら、リオ自身も息を吐き出す。だが、若干の呼吸の乱れと発汗は見られるものの、ただそれだけ。足下はしっかりしているし、視線も前を見据えている。腕はちゃんと振り抜いているし、体は前に進んでいる。一応列の最後尾なのだが、それでも戦乙女達には付いていけているのだ。流石に疲れていないと言う訳でないが、それでも体格から考えれば十分に保っている。
無言で口を引き結びながら、能面と言った表情で黙々と走り続けるリオ。それは寡黙に仕事をこなしているというより、何も考えず流れに身を任せていると言った方が正しい姿だった。
もっとも、最後尾にいるリオに気を遣う人間はいないし、横を走り抜けていった如月と速瀬も、競争相手の事で頭が一杯なようで周囲が見えいていない。突風のように過ぎ去っていた女性2人を眺めながら、リオはただ手足を動かし続ける。
機械のように。何も疑問を持たず。ただそうしろと言われたから。
始終ペースを崩さなかったリオがゴールした時には、他の人間達は全員完走していた
「よし、10分休憩を挟んで25だ」
息を整えている全員と見渡しながら、伊隅がそう告げる。なかば予測していた事とは言え、ハッキリ宣言されるとそれはそれで辛い。せっかく和らいでいた疲れが、またぶり返してきたような錯覚を憶えた。
「はぁ……」
小さくリオが嘆息する。だがそれは疲れからではないのは本人以外知らない。クールダウンの為軽く動き回っている女性陣を目にしながら、リオは今さらのように自分のしている事を考え出した。
事の発端は朝食を終えて伊隅の雷を受けて午前の訓練に入ろうとした矢先、香月の秘書でもあるイリーナ・ピアティフがブリーフィングルームに乗り込んできた時からだ。
何でも部隊全員のOSを弄っているのだが、その作業が数日かかると言う事。当然実機演習は行えず、旧OSのままのシミュレーターは論外。因みに香月副司令の命令だから拒否権は無しとの事。
いきなりそんな事を、と非難の声を上げた伊隅に、私は何も聞かされておりません、と言い捨てて部屋を後にしたピアティフ。疲れた背中を見せた伊隅は一つ嘆息すると若干何か思案し、振り向きざま基礎に戻るぞと小さく吐き出した。
その声を聞いて茜や築地が顔を引きつらせ、遙と柏木が苦笑いを浮かべた。朝光は抗議の声を上げ、宗像と風間はいつも通り余裕のある態度。如月が口笛を吹き、速瀬が獰猛な表情を作る。それだけで、伊隅の言う『基礎』の内容が想像できるのだが、それはこの部隊を知り尽くしている人間で有ればの話。ひとりだけきょとんとした表情を浮かべたリオに、何故か築地が、頑張ろうねぇ、と泣きそうな表情で語った。
うきうきとしている人間(約3名)と肩を落としている人間(約7名)と状況が解っていない人間(約1名)に編成されたヴァルキリーズは、そのままグラウンドへ直行する。
軽く準備運動を行い、体をほぐした10人を前にして伊隅は一言。
「10だ」
と、言い放った。目の前には白線で楕円形に形作られたトラックが存在しており、それを前にして10といえば、答えは一つしかない。
距離にして4000メートル。距離自体短いとは言えないが、正規の軍人である彼女達にはそれほど厳しい距離でもない。ほっ……と、主に新任ズが胸を撫で下ろしている所で、伊隅が思い出したかのように付け加える。
「始めはな」
その言葉に数人が固まった。いまだにきょとんとしているリオを引っ張って全員がスタートラインに付く。なにやら伊隅と遙が二言三言話していたようだが気には掛けず。
会話から戻ってきた伊隅は自身も先頭に立って、どこからかスターティングピストルを取り出し頭上に掲げ。
聞き慣れた発砲炎に比べれば、幾分か軽い火薬の破裂音が聞こえた。
「ひぃ……はぁ……」
「このくらいでバテるな築地。貴様、今の方が体力が落ちているんじゃないだろうな。もう一度訓練生からやり直すつもりか?」
25周を走り終え、流石に倒れ込んではいないものの荒い呼吸を繰り返す築地に、上から見下す視線で伊隅が吐き捨てる。
「そ、そんな……事は……有りませぇん……」
息も絶え絶えに言葉を返す築地。だが、外見上は疲れている物の表情は真剣そのもの、目に宿る意志の光も決して曇ってはいない。
「……いいだろう。ならば築地の意志に答えてやろうじゃないか。次ッ! ケージの装備を担いで15行軍だ! いいかっ、1人の遅れが全員の損失に繋がる。その事を頭に叩き込んでおけ!!」
「「「マム・イエス・マム!!」」」
何故か嬉しそうに速瀬と如月、それから涼宮が答えている。その光景を背景に、柏木は築地の体をマッサージし、少しでも疲れを解してやろうとしている。
「ありがと~。晴子ちゃん」
「気にしなくていいよ多恵。それよりしっかり休んでなよ」
甘やかしているようにも見えるが、1人の過失は全員でカバーすればいいと言う事を体現している彼女を、責める謂われはない。
そんな事を考えながら、リオはケージに転がっている装備を前に途方に暮れていた。
「どうかしたの? レムレース少尉」
優しい声に振り向けば、涼宮が装備を身につけながら笑顔を向けてくる。彼女には似合わないなと素直な感想を浮かべながら、リオは懸念を口にする。
「これ……どうやって装備するんですか?」
目の前に転がる装備一式を持ち上げながら、不安げな口調で訪ねるリオ。それもそのはず、もしもここで装着できませんでしたともなれば、先程の築地以上の叱責と、速瀬、如月以上のおまけが付いてくるはずだ。
とは言え、一度も見た事がないものを装備しろと言われてもどれから手を付けて良いのかすら分からなければ装備のしようがない。おまけ自体はさほど気にならないものの、自分の所為で周囲まで重荷を背負わせるのは本意ではないのだ。
「あれ? 訓練生時代にやってないのかな?」
涼宮が率直な疑問を浮かべる。だがリオにしてみればかなり厄介な疑問である。まさか馬鹿正直に、別の世界の人間だからこんな装備は見た事がない、とは言えるはずがない。
どうするべきか? とリオが必死で頭を回転させていると、意外な所から助け船が出てきた。
「涼宮中尉、リオ少尉が経験したのは90式被服ではないでしょうか? 最近は97式に変わってきていますが、古参ではまだ使用している基地もある事ですし」
「あ、そっか。確かに90式と97式じゃ装着方法が違うよね。じゃあ、レムレース少尉は97式は初めてなのかな?」
「はぁ……はい、初めてです」
正直どちらも着た事はないのだが、勝手に話が進むので有ればわざわざ蒸し返す必要もない。
「なるほど……リオにとっては初体験と言う事だな」
何か含みを持たせた笑みを浮かべた宗像が、自身も装備を担ぎながら口を挟んでくる。
「え? そうですね、初体験です」
率直に答えるリオ。その言葉に一瞬驚きの表情を浮かべた宗像は、次の瞬間にはさらに笑みを深めていた。それに呼応するように風間もクスクスと小さく笑みを零す。
「まぁ、レムレース少尉ったら。それはまた随分と斬新な表現ですね」
「?」
「ふふ……ああ、リオ心配するな。何事も経験は大事だぞ? それに最初は痛い物だと相場は決まっているんだ」
「……? そんなに体に合わないんですか?」
「ああ、やはり大きさという物は大事だぞ? 世間では大きい方が良いというヤツもいるが……あまりにも大きすぎるとな。逆に苦しいものだ」
「苦しいんですか? 大きいのに?」
「それはもう……裂ける事もあるらしいからな」
そこまで言って視線を向けてくる宗像。その目は何かを期待しているような光を帯びている。が、リオにそれを期待するのはお門違い。
「服が?」
全く見当違いの、そしてリオ自身は真面目なその言葉に、若干笑みを薄めて口を閉ざす宗像。何か拙い事を言ったのだろうかと、リオが不安を憶える。と、宗像と風間は揃って溜息を漏らした。
「……駄目だ梼子。こいつには通用しない」
「なにがですか」
一応尋ねてみたが、あっさりとスルーされる。
「あら……やっぱり早すぎたんじゃないかしら」
「しかし、今の内に……」
何時の間にやらリオを放り出し、話し込み始める2人。理不尽な扱いに表情を顰めながらも、
リオは早急に対策を講じなければならない問題の方に目を向ける。
「じゃあレムレース少尉、手伝ってあげるね」
「あ、お願いします」
BDUを着込むリオを補助する涼宮。出来るだけ動きを阻害せず、尚かつ装備の保有量を増加させるという主目的があるBDUは、その特性上パズルのピースのようなものだ。順番が狂えば、着込めないと言う事はないにしろ、手間取る事にはなる。難しい顔をして装着していくリオを手伝っていた涼宮は、ふとリオの腰、ベルトを通すべき穴に、鈴が一つ結び付けられている事に気が付いた。
金属質の光を鈍く反射し、ボロボロの黒い糸を編んで結わえ付けられたそれにどのような意図が込められているのか、彼女は知る由もない。だが、帯格―――ベルトキットを装着するにはいささか邪魔になる事は確かだ。
「ねぇ、レムレース少尉。ちょっとコレ外しても……」
お守りか何かかなと、軽く考えた涼宮は、邪魔になるであろうそれを支えている糸を解こうと手を伸ばす。
「っ!?」
バシッと肉を打つ鈍い音が響いた。
腰に結わえられている鈴を外そうと伸ばした涼宮の手を、あろう事かリオは叩いたのだ。突然の事に動きの硬直する涼宮。だが、彼女の動きを止めたのはリオが行った蛮行だけの所為ではなかった。
手を叩き落とされた涼宮が、説明を求めるようにリオに視線を向ける。それを向かえたのは、まるで親の仇のように睨み付けるリオの視線だった。
いや、睨み付けるなどと言う生易しい物ではなく、それこそ射殺さんばかりの銀色の瞳。その瞳は明確な感情を遙に送ってきていた。
それは殺意。体の芯を凍り付かせるような絶対零度の温度を含んだ視線は、涼宮に一切の行動を起こさせない程の物理的圧力を伴っていた。
と、その瞳がふと我に返ったように二、三度瞬く。
「あ……あああ!? ご、ゴメンなさい!」
ようやく自分のしでかした事に気が付いたのか、リオが慌てて頭を下げる。その声を聞いて初めて涼宮の硬直が解ける。何かの催眠術に掛かっていたかのように多大な疲労感を伴う解け方だった。
「ホントにゴメンなさい! け、ケガとかしてないですか? 大丈夫ですか?」
未だに呆然としていた彼女の沈黙を、怒りと取ったのかリオが焦りを増長させて謝ってくる。先程殺意を向けてきた人物とは思えない程の腰の低さに、この上なく違和感を感じる涼宮。
「あ、うん……ちょっとびっくりしたけど大丈夫だよ」
「ゴメンなさい……」
本当に申し訳なさそうに頭を下げるリオに毒気を抜かれながらも、涼宮もようやくぎこちなく笑顔を浮かべる。申し訳なさそうに小さくなっている少年は、どう見ても年相応のものだ。
ならば先程の殺意を向けてきた少年は一体なんだというのだろうか。あれ程までにガンを飛ばされるというか、まさにギロリという擬音が似合いそうな視線を向けられたのは、彼女の20年弱の生涯でも思い当たる節はない。
そう思い意識を戻せば、未だに罪悪感の視線を向けてくるリオがいる。安心させるようにもう一度、大丈夫だよ、と言うとそこで初めてリオに安堵が広がった。
理由を問い出そうとも思ったが、先程の敵愾心を目の当たりにしては下手に首を突っ込むのも拙い予感がする。何より謝るだけで理由を話さないリオを見れば、何か相当の意味がある事ぐらいは涼宮にも―――。
「涼宮ぁ! リオぉっ! さっさと集合しないかぁっ!!」
伊隅の怒声によってそれ以上の思考は掻き消された。慌てて装備に戻る2人。
結局涼宮の手を借りて着込んだ時には、集合時間を見事にオーバーしており、慌てて隊列に並んだ2人を待っていたのは、口元だけ笑っている伊隅の表情だった。
「リオ、貴様は随分と余裕があるようだな……いいだろう、分隊支援用のダミーも持って貰おうか」
笑みを崩さないまま、リオに軽機を渡す伊隅。きょとんとした表情で、軽機を見、伊隅を見たリオは、やっと合点がいったのか表情を歪ませる。だが、周囲からの援護は無し。1人の過失は全員でカバーすると入ったが、これは完璧にリオの責任である。自らに降りかかる火の粉は自らで払えと言う事か。
「了解……」
極力無表情で答えながら、小柄な体にストラップを巻き付ける。端から見れば、手当たり次第に装備を付け足したような姿だ。そこでふと彼は罰を受けているのが自分1人だと気付く。
「……隊長、涼宮中尉にはペナルティは無しなんですか?」
何気なしのその言葉に、ふと、周囲の空気が重みを増す。言外に1人だけと言うのは納得いかないと語ったリオに、伊隅は視線を投げかけるだけ。緊張感を押し止めたその唇が、何かを躊躇っているように、僅かに動いている。だが、彼女より先に横から声が飛んできた。
「遙は良いのよ。そもそもあんたの所為で遙も遅れたんだから、彼女の分の罰を受けるぐらい我慢しなさい」
伊隅より先に速瀬が口を挟む。その言葉から僅かながら焦燥を感じ取れた。まるで話題にしたくないと言った風の速瀬の口振りに、引っ掛かるものを感じたのだ。
「……それもそうですね。分かりました」
今回は自身に非があるし、わざわざ駄々を捏ねるほどのことでもないと判断したのか、リオは簡単に従う。何人かから溜息が漏れたが、気に掛ける必要もなかった。
「では、まずは15からだ。しっかり付いてこい」
場の空気を振り払うように、少しばかり力の籠もった声で伊隅がそう発した。
目の前で繰り広げられる近接戦闘の嵐。腕が互いの間に存在する大気を切り裂き突き出され、脚が砂塵を巻き上げ振り抜かれる。
踏み込んだ築地が体重を載せた右ストレートを放つも、体を沈み込ませながら左腕でそのストレートを押し上げた風間が、がら空きになった築地の懐に右手に持っていた模擬短刀を突き立てようとした。
だが、反射神経に関しては光るモノのある築地が空いていた左手の短刀でうち払い、同時に体を左に捻って致命傷を回避する。ほぼ密着状態でありながら、互いに致命傷を与えられなかった2人は、これ以上の有効打は与えられないと判断したか、互いに後方に一旦距離を離す。
ジリジリと体重を移動させ、牽制し会う2人。
かたや飛びかかる寸前の猫のような気配の築地。かたや流れるように立ち位置を変える風間。敏捷性で言えば築地に分があり、相手の力を利用する流しに関しては風間の方が上。先手必勝とばかりに築地が一気に距離を詰める。一足飛びで風間の懐へ入り込み、またしても右ストレート。
だが今回は牽制。
伸ばされた腕に風間が意識を移した瞬間に、左から腹部へ中段蹴り。しかし脇腹を狙ったそれを下ろした腕によって防いだ風間は、そのまま腕を築地の脚に絡ませると地面に残っていた軸足めがけて低空の横薙ぎ。見事に脚を掬われた築地の体が浮くと同時に絡ませていた腕を解放。背中から落下した築地が、衝撃に一瞬目を細める。
その僅かながら限定された視界の隙をついて、風間が短刀を無防備な腹に振り下ろした。気付いた築地は転がり避けようとするもそれは致命的に遅かった。
ぴたりと静止した短刀は、築地の腹部にその身を向けたまま無言で自己主張をしていた。
「そこまでね~」
朝光の軽い声が聞こえる。その言葉に一様に脇に控えていた人間達は息を吐き出した。
それを合図にしてか、風間が築地に手を伸ばし立たせる。有り難うございますと言いながら立ち上がった築地は、若干納得が行かないといった風の面もちだった。
「何か気に入らないって顔してるね、多恵」
築地の背中に付いた土を叩いてやりながら柏木が声を掛ける。
「ん~……何でぇ蹴りだって分かっちゃったんですかぁ?」
「築地少尉は基本的に足技に頼る傾向があるの。それに一度通用しなかった攻撃をもう一度使うなんて陽動だって言ってるようなものですよ」
小さく微笑みながら風間が答えを言い放つ。言われてみればその通りだと言わんばかりに涼宮が同意を示した。
「あ、そっかー。多恵って戦術機でも蹴りしようとするね」
「でもあれって負担掛かるから止めろって毎回整備兵に怒られてるよね」
「はいはい、検証なら後にしてちょうだいね~」
パンパンと手を叩いて朝光が場を収める。因みに彼女が教官役を買っているのは、伊隅がこの場にいないからだ。先程訓練中に香月に呼ばれたというのは分かったがそれ以上は知りようがないし、知るつもりもない。
それに朝光も真面目に仕事をこなしている。伊隅が朝光を指名した時には全員が「!?」という顔をしたのだから意外と言うほか無い。
格闘訓練用に持ち出してきた雑多品をゴソゴソとかき回しながらそんな彼女が指示を出す。
「はい次ねー。ん~……リオちゃんとらぎっちか、得物は……模擬刀しか残ってないわね。じゃこれで」
「あいよ」
やっと出番かと言わんばかりに如月が進み出てくる。少しばかり遅れて手の中の模擬刀を不思議そうに眺めながらリオも続いた。走るには遠く、一足飛びには近すぎる絶妙な距離を開いて対峙する2人。鞘を腰に差したまま柄を柔らかく握り、脚部に力を込め開始の合図を今か今かと待ち構える如月に対して、リオは型も何もないただ単に模擬刀を両手で握り目の前で構えただけ。
正眼の構えにも見えるそれは、実は隙だらけと言うことに気が付いた如月が、表情を顰める。
「春華、ちょっとタンマな……リオ、握りが間違ってんぞ。抜いて構えるんなら掌底全体で柄の上部を握って締める指は薬指と小指だけだ。あとの指は緩めすぎない程度に添えるだけだぜ」
ツカツカとリオに近寄った如月が、リオの手に自身の手を添えながら講釈を開始する。
「人差し指と親指の間が峰の延長線上に来るようにして……お、そうそう」
親が子に勉強を教えるように、リオの回りを歩き回りながら気に掛かる点を指摘していく。リオが素直にそれに従っているのは、反論のしようがないからだ。
ここで少しばかりでも剣術に関して知識が有れば意見の衝突でも生まれようものだが、生まれてこの方剣術などとは無縁で、扱える刃物と言えば包丁ぐらい。そんなリオに口を挟めと言う方が無理である。
「うん、なかなかサマになってる」
満足そうに頷く如月を後目に、軽く上段から模擬刀を振り下ろすリオ。鋭い音を立てて大気を切り裂くそれは、確かに如月の言うとおり一応の格好は付いていた。
「少尉、これって本気でやらないと駄目ですよね?」
幾度か模擬刀を振りながら、如月に向かってリオが問いかける。それに何を当たり前のことを、と答える如月。
「何言ってんだ? 訓練だからって手ぇ抜くなんてあり得ねぇだろ」
「そうですよね……」
そう言って目を閉じるリオ。精神統一か瞑想か、しばしそうしていた彼はゆっくりと目を開ける。その銀色の瞳が無機質な光を帯び始めていた。
「もういいか?」
「いいですよ」
「おっしゃ。んじゃいっちょやろうぜ!」
もう一度距離を離し、すっと腰を落とし構えた如月。そのからが発せられる雰囲気が一気に硬質化した。
鯉口を僅かに切り、いつでも抜き放たれるようにそなえられたその構えは俗に言う「居合い」に近いモノであった。
「あらま、らぎっちちょっと本気になってるわね……ねね、ハルー。リオちゃん何分保つと思う?」
「その呼び方勘弁してくださいって……まぁ、見た限り剣術に関しては素人のリオが本気の如月先輩相手にですか……何分というより何秒じゃないですか?」
「ハルーもそう思うの? これじゃ賭けになんないわねぇ……」
「賭けるつもりだったんですか、というか朝光中尉ちゃんと見てないと駄目でしょ」
ビシッと築地が横からツッコむ。冗談よ、と軽く視線を逸らし、ついでに舌も出して戯けて見せる朝光。普段の彼女ならさらに言葉が続くはずなのだが。
それは鋭い激突音に掻き消された。
既に刀身を抜き去っていた鞘を、邪魔と言わんばかりに投げ捨てたリオが模擬刀を横薙ぎに構えたまま肉薄、ただ叩き付けるように如月の胴に刃を走らせる。力任せに棒きれを振り回すような、刃筋も型もまったくなっていない横薙ぎ。だがそれゆえに破壊力だけは一人前に備えた、受け損なえば骨折必至の一撃を如月は腰からの白刃によって弾く。
流石に剣戟戦に於いては隊内一と言われているだけの事はある。リオの其れと比べるのも失礼な程、いっそのこと美しいまでに流れるように抜き放たれた模擬刀はリオの横薙ぎに合わせその刀身を激突、リオの模擬刀を弾きそのまま振り抜かれる。振り抜いた刀身を手首を返して操り、袈裟懸けに強襲。
勿論当てるつもりはない。ただ、これを防げなければリオには先程の築地と同じく「死亡判定」が下されるのだ。
しかしリオとて反射神経に関しては人並み以上。弾かれた反動でやや体勢が崩れているものの自身の左から襲い来る刃を頭を下げ回避、そのまま爪先で地面を擦るように如月の軸足に脚払いをかける。軽く後方に跳躍し、攻撃の回避と間合いの確保を行った如月は再び模擬刀を鞘に収め腰を落とした。追撃を行おうとしたリオが急制動、砂埃を上げながら間合いギリギリで足を止める。
「………え? 今の、なに?」
観戦していた涼宮が随分と間の抜けた声を上げる。もっとも間が抜けているのは茜だけではな
く、先任達も目を見開いている者がいる。
「多恵さ、動体視力良いよね。何がどうなったの? リオが右から斬りかかったまでは分かったんだけど」
涼宮に問われた築地が若干自信なさげにも先程の数瞬の打ち合いを説明する。
もっとも見えているだけでも大したものだ。実質打ち合った当人達でさえ、考えてではなく、ほとんど条件反射的な行動だったのだから。
「やるじゃねぇかリオ。あたしと打ち合えるなんざ、正直水月だけだと思ってたぜ」
「それはどうも」
素直な如月の賞賛に、リオは無表情で答えるだけ。しかしそれは何かに耐えるような、押さえ付けるような姿だった。
「の割には型とか全然なってねぇなぁ。そのくせ反射だけは人並み以上……変なヤツだぜ」「それはボクだけじゃないでしょ」
観戦しているヴァルキリーズを一瞥した後、走り込み始めるリオ。キンッと鯉口を切った如月が、
「確かにな」
答えながら抜刀する。
今回はリオを機先する超速の抜刀。居合い特有の流れるような動きには、陽光を煌めかせる模擬刀が付属している。だが、居合いは腰が起点になる為初太刀の太刀筋は意外と予測しやすい。沈み込むように頭頂部を薙ぐ一刀を回避したリオは、そのまま両手で保持した模擬刀の切っ先で地面を削りながら下段斬り、返した刀を垂直に地面に突き立たせ脚を薙ぐ一撃を防御した如月がそのまま刃を跳ね上げさせる。股間から頭頂部まで両断するかのような錯覚を持って迫る刃を地面を蹴り回避、後退したリオを追撃する如月。
もはや訓練と言うには少々行きすぎた攻防に、しかし静止すべき朝光の声は上がらなかった。いや、彼女だけではない。周囲の誰もが、眼前の無茶苦茶な攻防に目を奪われている。
「隊長が言ってたのも嘘じゃなかったんですね」
相変わらず無表情に、しかし随分と調子の出てきたリオが、如月の攻撃を弾きながら軽口を叩く。
「ここまでしぶとい相手は初めて見ますよ」
「それはよかったじゃねーか。ほれほれ、存分に見ればいいさ」
挑発か賞賛か。互いに握る拳に力が篭る。
「もうちょっと付き合ってくれます?」
「あたしに対しての報酬は?」
「コインいっこで」
「1個じゃ勝利は買えねーぞ?」
その声を皮切りに飛び出したリオが、如月だけに顔を向けて言い切る。
「少尉が、コンティニュー出来ないんですよ!」
如月が右から迫る袈裟懸けを刀身を上げ防ぎ、そのまま押し返し相手の体勢を崩す。弾かれた衝撃で懐ががら空きになった隙に返した刀でそのまま振り下ろし。それを体を捻り回避したリオは捻った反動を利用し体を独楽のように回転、振り下ろした体勢で固まった女性の胴へ右から刃を叩き込む。刀身が間に合わないと悟ったか、あろう事か模擬刀の柄でその一撃を防ぐ女性。
防いだ刀身を柄で滑らせながら後退する。追撃してくる力任せながら速度の乗った斬撃を、回避し、逸らし、受け、弾き、ふと彼女は気が付いた。
リオの攻撃速度が上がっている、と。
つ……と背筋に冷や汗が流れた。何せ剣戟戦に於いては速瀬の追従すら許さない程の腕を持っているのだ。そんな彼女が、よりにもよって剣術のけの字も知らないような少年に追い込まれている。斬撃の速度、太刀筋、どれも見切れない事はない。ならば何故追い込まれているのか。端的に言葉に出して確認してみる。
「早ぇな……」
相手の切り返しが早すぎるのだ。仮にも保持しているのは真剣な身の重量を持つ模擬刀。それを目の前の少年は軽々と振り回しているのだ。どう考えても、小柄な体の何処にそんな力があるのかと疑問に思う。
通常、人間は健や筋組織の損傷を防ぐ為無意識のうちに体の動きに制限を掛けている。もしそのリミッターが外れれば人並み外れた怪力を得る代わりに、自身の体を崩壊させる運命が待っている。もっとも人間が自分の意志でそのリミッターを外す事はまず無い。というより行う事が出来ない。
しかし、矛盾するようだが行う事も出来る。
それが目の前の少年の状態だ。脳内麻薬の意識分泌によって筋繊維の断裂による痛みを無視し、筋肉の無意識制限を強制的に解除。その結果、真剣と大差ない重さの模擬刀をまるで小枝のように軽々と振り回す。
もっとも如月にそんなトリックが想像付くはずがない。彼女から見ればリオの切り返しは筋力のみに頼った早さ重視の物。いくら早かろうが、如月はリオの動きに追従していた。
後退したと見せかけ反転、走り込んだ勢いそのまま、如月は一気にリオの脳天に模擬刀を振り下ろす。死にはしないが負傷は避けられない程度の勢いで迫る刃を、刀の峰に手を添え受け止めるリオ。あまりの衝撃に両者の模擬刀が軋みを上げた。
上からの攻撃、さらに体格差がある両者。押し込まれる事を嫌ったリオが、無理矢理刃を捻りのし掛かる重量を逸らす。左前に流れた如月の体に密着するように首筋へ刃を振り下ろす。
その刃を認識しながら、如月の目は有る一点に集中した。惹き付けられたようにそれを目撃した彼女は、慌てて意識を引き戻す。
如月の模擬刀は受け流され返しが間に合わない。一瞬で判断した彼女は、あろう事か右手を柄から離す。
「おりゃぁっ!!」
打撃音。首筋に迫る刃の腹を、如月はアッパー気味の拳で殴りつけ強制的に頭上に跳ね上げさせた。完璧に予想外の防御方法に、空ぶったリオの体が大きな隙を生み出し、打ち上げた拳を引き戻した如月は、短い呼吸を一つ。
次の瞬間には正確にリオの鳩尾に拳がめり込んでいた。
小柄な体が吹き飛ぶ。背中で地面を削りながらやがて停止する少年。遅れて少年の手から放れた模擬刀が地面に落ち、鈍い音を立てた。
「そ、そこまで!」
今さらのように朝光が中止の声を上げる。もっとも彼女が声を上げなくても、吹き飛ばされたリオはもとより息の切れている如月にも追撃能力は失われていた。
「リオちゃんっ!?」
我に返ったヴァルキリーズの中で真っ先に朝光が飛び出す。地面に寝転がったリオを心配し近づいたのだろう。そんな彼女に答えるように咳き込みながら身を起こすリオ。
「……大丈夫です」
立ち上がった時に一瞬足下はふらついたもののそれ以外は目立った異変は無し。落ちていた模擬刀を拾い鞘に収める。それを見て安堵の溜息を漏らした朝光。
「如月少尉、少しばかり力が籠もりすぎたようですね」
息を整えている如月に風間が目を細め語りかける。だが如月はそちらに顔を向けないまま拳を握ったり開いたり、それを繰り返しながらボソリと言葉を吐き出た。
「まともに入った筈だぞ……」
「? 如月少尉?」
「どうかしたのですか?」
信じられないといった風に呟く如月に、いぶかしんだ風間と遅れてやってきた宗像が声を掛ける。
「ん……おお、梼子……と美冴か。なんか用か?」
初めてこちらに気が付きましたといった風の如月に、宗像は朝光に世話を焼かれているリオ
を顎で示す。
「梼子は、やりすぎじゃないか、と言ってるんですよ」
確かに先程の一撃は、訓練にしては少々強烈すぎる。熱くなるにも限度があるだろうと言外
に語った宗像だが、如月は苦みきった表情を見せるだけ。
「やりすぎに見えちまったか?」
「ええ、途中から朝光中尉が落ち着きを失われるほどに」
「衛士とは言え一応は子供……少しは手加減できなかったのですか?」
「手加減ねぇ……」
口をへの字に曲げて、渋面を作る如月。その表情に宗像が何か含ませた笑みを作る。
「まぁ、如月少尉に子供を苛めて喜ぶ趣味があるというのなら、私がどうこう言う事ではありませんが……」
「あら……如月少尉にそんな一面が……。いけませんわ、可愛い物は大切にしませんと」
からかい口調の宗像とクスクスと小さな笑みを浮かべる風間。普段の如月なら即座に食い付いてくると両者踏んでいるのだ。が、
「てめぇらが見えてなかったんなら、他の連中にも見えてねぇだろうな」
宗像と風間の言葉を無視して独白する。普段の食って掛かってくる如月を予想していた2人は肩すかしを食らった気分になりながら、先程の言葉の真意を尋ねた。
「どういう意味です?」
その言葉に、如月がきっぱりと言い放つ。
「アイツ、躊躇いがなかった」
「躊躇い?」
「ああ……普通はな」
言葉を続けながら模擬刀を構え直す如月。彼女が体を半回転させると共に銀線が走った。
隣にいた2人が認識出来たのは円軌道を描いた如月の体と、何かが空気を切り裂く小さな音だけ。一瞬後には宗像の首筋一寸の所に模擬刀の刃が居座っていた。その刃を指で摘みながらやんわりと首から話す宗像。
「こんな風にな。さっきの梼子もそうだけどよ、寸止めしようと思ったら知らない内に無駄な力って籠もるモンなんだよ。流す力と別方向の力加えなくちゃならねぇからな」
「そうですね。格闘にしてもそうですが、無理矢理止めるより振り抜いた方が楽な時がありますからね」
「しかし、リオはその別方向の力がなかった……というわけですか?」
「そだな。これでも梼子程じゃないにしろ見切りには自信あんだ。振り抜く速度と太刀筋で斬撃か打撃かは見切れるしな」
「……それは少尉だけです。私達と同一に考えないでください」
「へん……まぁとにかく。リオはあたしが受け損なった時のこと考えてないように見えたんだよ。どう見ても本気で斬りかかって……いや、刃筋自体は無茶苦茶だったから打撃だな。それでも当たりゃ骨折はするって勢いだからな。そうなりゃあたしも知らず知らずのうちに力入っちまってよ、なんつーかやり合わせられたって言うべきだぜ。まったく、訓練なんてモンじゃねぇよ……もう少しで医務室直行のしばきあいになる所だった。それに、だ」
そこまで言い切り、いつの間にか硬く握っていた拳を解く。開いた掌は汗で濡れていた。
「まだ何か?」
「さっきあたしの首めがけて模擬刀振り下ろした時のリオの表情、見えてたか?」
「表情、ですか? 私はお二方の動きに付いていくのに忙しかったものですから……」
「私も。しかしそれが」
どうした、と続けるはずだった声はそれ以上発されなかった。如月の表情が強張っていた所為だ。
「笑ってやがったんだよ、アイツ」
その時のリオの表情を如月が思いだし背筋を震わせる。彼女の脳裏には自身の首筋に迫る刃の向こう、銀色の瞳がしっかりとこちらに狙いを付けている表情が浮かんだ。その表情は喜色満面。まるで心の底から楽しんでいるような笑顔だったのだ。
「何て言うのかな……楽しそうとも嬉しそうとも取れたんだ」
「珍しいですか? うちの部隊はそういう人間ばかりだと思っていましたが」
騒ぎが一段落したのか涼宮相手にテンションの高い組み手を披露している速瀬に視線を向けながら呟いた宗像の言葉に、如月はただ首を振るだけ。速瀬の場合はただ単に格闘訓練が好きなだけだ。
だが先程のリオは一瞬とは言え大きく目を見開き、ぱっくりと口が裂けたような笑みを浮かべていたのだ。そんな表情を見せつけられ、楽しんでいると取れるかどうか。少なくとも如月には速瀬とリオでは浮かべる笑みは全くの別物だと思えた。
「水月とはまったく別モンだよ、ありゃ壊れたっていうのか……駄目だ、上手く言えねぇ……」
無邪気な笑みと言えばそれまでになる。ただその無邪気さの裏側には、自分が与える、または与えられる苦痛を全く理解していない恐ろしさがあるのだ。嬉々として玩具を壊す子供と言えば一番しっくり来るだろうか。恐怖も躊躇いも何一つ存在しない笑み。
が、如月はともかく宗像達は幸か不幸かその笑みを見ていない。そして当の如月もその笑みが持つ意味を理解し切れていなかった。
「ま、とにかくだ。あのまま打ち合ってたんじゃ無事には終わらねぇだろうってことで」
「拳が出た、と。しかも子供相手に、本気で」
「とっさの判断だよ。現にリオがあたしの模擬刀に集中しすぎた御陰で、あっさりと叩き込めたしな」
「成る程……しかしその言い訳が朝光中尉に通じるかどうか……」
「へ?」
ボソリと視線を逸らしながら呟いた宗像の横では風間がススッと滑るように距離を取った。怪訝な表情を浮かべた如月がその行為を理解する前に、
「らぎっちぃぃいいいっ!!」
その声とスパーンと小気味よい音が響くのはどちらが先だっただろうか。恐らく同時だろう。
「いってぇぇええええ!!」
後頭部を押さえしゃがみ込みながら、目尻に涙を浮かべ叫ぶ如月。
そして小気味よい音の正体は、朝光の手に保持された厚紙に短い間隔で山折り谷折りを繰り返させバネのように反発性を持たせた紙の塊。その物体には克明に、「ヴァルキリーズ専用ハリセン(お仕置き用)」と達筆な字で書き込まれていた。たかが紙の束と言えど、十分なスピードと一定の硬度が有れば威力は見ての通り。しかも所々ガムテープの厚貼りによって強化されたそれは、完璧油断していた如月の後頭部を熱烈な程に捉えていた。
「なにしやがんだ春華ぁっ!!」
「うるっさぁいっ!! いくら得意な剣戟訓練だからって限度があるでしょうが! みぃちゃんが居ないからって好き勝手やるなんて許さないわよ!!」
未だに涙を浮かべたまま振り返りながら叫ぶ如月に、それ以上の声量を持って怒鳴り返す朝光。ハリセンで肩をポンポンと叩いている彼女の背後に、困った表情のリオが居た。
「だからアレは仕方なく、って聞いてねぇしよ! 美冴、梼子説明して……いねぇっ!? くそっ、アイツらこうなること見越していやがったな!!」
「問答無用よ、らぎっち。大丈夫……痛いのは最初だけだから」
いつになく真面目な顔付きになった朝光が得物を構える。風切り音と共に如月の眼前に突き付けられたハリセン。リオの目にはその姿が、自身にPIXIE3を突き付けてきた紫陽花色の機体と被って見えた。
「人の話聞けよ!!」
……見えたのだが、その想像も如月の悲痛な叫びに掻き消され。
朝光と如月がハリセンと模擬刀で打ち合い、それに訓練を終えた速瀬が2人を止めるという名目で乱入し、いつもの余計な朝光の一言で油を注がれた速瀬がムキになり、さらに混乱の度合いが増し、大乱闘の3人を視界に収めながら宗像と風間は誰が最後まで残っているか賭けを始め、柏木と築地はこれ幸いとくつろぎ、涼宮姉妹が複雑そうな表情でも見守り。
結局。
「辞めんか貴様等ぁぁあああっ!!」
戻ってきた伊隅に、全員仲良く説教を食らうハメとなった。
後書き
此処までお読み頂き有難うございます。筆者のD-03です。
さて、前半のPXにて柏木フラグが立ちました。嘘です。でも筆者個人としては柏木は準ヒロインぐらいの扱いにはしてあげたいなと考えております。
それと遙って訓練には参加するのかが謎ですね。基礎体力程度の訓練は行うでしょうが、格闘訓練とかするのでしょうか?
そして如月。模擬戦ではさっさと退場した彼女ですが意外と強かったようですね。リオとのやり取りは、執筆用BGMの所為か自重しませんでした。参考にさせて頂いたあのやり取りはもはや芸術だと思えますね。
リズムの良い会話は、書いているほうも読むほうも楽しくなります。
次回も訓練でしょう。いい加減ネタが切れてきました。
では、次回もどうぞ、リオにお付き合いください。