人間というものは、以外と習性を持っているものである。
ある決まった事を繰り返す内に、体がその行動を覚え込み、やがて無意識であってもその刷り込まれた行動に対して、間違いや失敗など起こさなくなる。
言葉を換えれば、刷り込まれた行動に対してなら機械のような正確さを得る事が出来る、ということだ。そしてその習性は、状況が変わったとしてもそうそう失う物ではないと言い切れる。
……つまり別の世界に飛んだにもかかわらず、リオがこの世界に慣れている筈の白銀より早く起きたのは、前の世界での習性が体に染みついていた所為であるだろうということ。
「……今日の当番は……ボクだったけ……?」
もそもそと床に敷いた布団から這い出して、寝惚けながら辺りを見渡せば、無味簡素な部屋。そして部屋の隅にベッドで眠りこける男が1人。
そこで思い至る。此処は自分の知っている世界ではないのだと。
楽園を後にしたアダムとイヴはこんな気持ちだったのだろうか。見るもの、聞くもの、肌で感じるもの、すべてが新鮮で、それ故に余所余所しさを感じる。填まらないパズルのピースを無理やり当てはめたような、奇妙な不安定さを感じる。
その不安定さからリオを解放したのは、部屋のドアから聞こえるコンコンという音だった。
どうやら外からノックされているようだ。だが部屋の主人である筈の白銀は、気楽なほど眠り込んでいる。この上なく無防備な寝相に、本当に軍人なのかと眉を顰めながら、リオは音の響いたドアに向かう。
部屋の主の了解も得ずに、勝手に行動した理由は2つ。
男2人のこの部屋に、わざわざ朝っぱらから赴く物好きの顔を見たかったというのが1つと、ノックをするという最低限の礼儀がある相手を、このまま放っておくという事が出来なかったのが1つ。
軽く頭を振り意識を覚醒させたリオは、躊躇いもなくドアを開けようとして……ガチャッと軽い音と共に彼が到達する前に開いたドア。その前に立っていた物は、リオに1つの言葉を発させた。
「ウサ……女の子?」
背が高いとは言えないリオの目線で、ヒョコヒョコと揺れるウサギの耳―――いや、視線を下げれば、その下にはリオと同じ白銀の頭部が見え、同じ色の瞳が驚いたように見開かれリオを凝視していた。視界で揺れていたウサギの耳は髪飾りの一種かと納得したリオは、改めてその珍妙な訪問者を観察する。
リオと同じくらいで、美少女と形容するのがぴったりなその人物は綺麗に透き通った、冷たいというより空虚な瞳でリオを凝視して硬直している。内心まで見透かされそうなその瞳にやや居心地の悪さを感じながらも、見つめ返すリオ。
しばしよく解らない見つめ合いが続く。
「……はじめまして」
とりあえず、初対面なのだから一般常識的な言葉を贈るリオ。それに対して、失礼なほどに少女はビクッと怯える。そのままプルプルと震え出す姿は、まさに小動物だ。
「………………おはよう」
小さく、本当に小さく消え入りそうな声で、言葉を紡ぐ少女。
初めまして、に、おはよう、で返されたのは初体験なリオ。対処に困り立ち竦む。
と、少女は部屋の中に目的の物を見つけたのか、リオの脇を避けるように抜けるとそのままベッドに近づいていく。
当然其処には未だ眠りこけている白銀がおり、彼の傍らまで近づいた少女は、一度深呼吸を行うと、ポフッというような勢いで、丸まっている布団に両手を置く。そしてそのままゆさゆさと揺さぶり始める。
「……なんなの?」
目の前の光景に置いてきぼりなリオ。呟かれた疑問に答える人間は居ない。
男の部屋に朝っぱらから少女が尋ねてきて、しかも部屋の主を甲斐甲斐しく揺すって起こそうとしている。これがまだ大人の女性とかなら、白銀とそういう関係だとリオにも納得する事が出来る。しかし、目の前の少女はどう見ても自分より同じか少し上くらい。
まさか白銀も、こんな少女に手を出しているわけではあるまい。
「まさか万が一という可能性が……」
自分の知らない所でかなり拙い誤解を受けているにもかかわらず、当の白銀はようやくもぞもぞと動き出した段階。それを確認して少女が次の行動に移った。
「……えい」
顔近くまで被っている布団を、ゆ~っくりと剥がしていく。朝の冷たい空気が白銀の顔を撫でる。
「んん……おお、霞かぁ」
ようやく目を覚ました白銀が気怠そうに体を起こす。それを確認した霞と呼ばれた少女は1歩後退し、体を起こす白銀を見つめている。その後ろ姿には、何かをやり遂げた、というようなオーラを感じ取れた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
「ばいばい」
「ばいばいな~」
相も変わらず置いてけぼりなリオを後目に、片言な会話を済ませた少女が部屋から出ていく。入り口付近で突っ立ったままのリオの傍らを抜ける時に、僅かに視線を投げかけるもののそれも一瞬の事。物静かに部屋から退出した少女は、律儀に扉まで閉めて去っていった。
「ん~……やっぱこの時期になると朝は寒くなってくるなぁ……ってリオどした? 狐に摘まれたような顔して。あ、おはよう」
「ん、おはよう……じゃなくて。とりあえず朝から妙な光景を見た所為……?」
「なんで疑問形なんだよ。彩峰かお前は」
ツッコミながら、ベッドから抜け出した白銀は着替えを始める。それに習い、リオも白銀の着替えを一枚貰い着替える。相も変わらずサイズは合わないが。
「シロガネの今日の予定は?」
「んー? 俺は訓練かな。そろそろ……っていっても明日だけど、総戦技演習があるんだ」
「総戦技演習?」
聞き慣れない言葉に首を傾げるリオ。その様子に白銀は今さらのように、目の前の少年は別の世界から来たのだと実感する。
「総合戦闘技術評価演習。略して総戦技演習な。そいつに合格すれば衛士に近づける……早い話が試験みたいなもんだ」
「へぇ……でもシロガネなら問題ないんじゃない? 一回経験してるんでしょ?」
「まぁそうなんだけどさ……もうお前って言うイレギュラー要素が有るからな。何が起きたって不思議じゃないよ」
白銀にすれば軽い気持ちで呟いたその言葉は、リオにとっては、お前は邪魔だ、と暗に語られているように感じ取れた。
「……ごめん」
僅かに俯き、小さく呟くリオ。余計な事を言ってしまったと後悔した白銀は、慌てて付け加える。
「あ、別にそう言う意味で言ったんじゃないぜ? ただ前回と違うからちょっと………と、とにかく、リオが気にする必要はないぜ。誰もこんな事になるなんて予測出来る訳無いしな」
「そう」
そう誤魔化す白銀を後目に、リオは既に自分が寝ていた布団を手早く片づけ、廊下へ出て行っている。何時の間にか置いて行かれている白銀は、年上としての矜持を傷つけられながらも溜息をつき後を追う。
足音が2種類、冷たい音を響かせる。と、隣を歩いていたリオが、質問を口にした。
「そう言えばシロガネ、今朝現れた女の子って誰? 随分と仲がいいみたいだけど」
「女の子……ああ、霞の事か。俺も詳しくは知らないけどな、何でか毎日起こしに来てくれるんだ」
「……恋人?」
「違うって」
苦笑して手を振る白銀の様子を見れば、嘘か真かはおおよそ判別できる。
結論、真。
「よかった……ボクはてっきりあんな子供に手を出してたのかと」
「…………」
胸を撫で下ろすリオの背後で、笑顔で拳を固める白銀。
さしものの傭兵も背後からの奇襲には備えていなかったようだ。しばらくして、廊下に、少年の叫び声が響いた。
「あ~まだ痛い……少しは手加減してよ……」
頭部をさすりながら、1人ごちるリオ。朝食を済ませたあと白銀と別れ、リオが向かった先は格納庫だった。
香月に少々相談したいことがあったのだが、部屋に向かっても当の本人が居なかったので、これ幸いと基地内の探索を始めたのだ。
幸か不幸か、香月から貰ったパスで大抵の場所には入れる。これから生活する以上、基地内の構造を把握する事は必須条件であったから、リオにとっては大いに収穫となった。ついでに探索と平行して、基地内の兵員配置状況とかも調べておいた。「万が一」に備えておいて損はない。
因みに格納庫の場所は香月の部屋に訪れた時に遭遇した、ピアティフと名乗る女性から教えて貰った。秘書官と名乗り、それ以上は教えてくれそうになかった金髪金眼の女性は、香月とは違った意味で冷たそうだった。
そんなこんなで大体の基地内構造を把握したリオは、最後に愛機が放置されているはずの格納庫へ向かった。この基地に放り込まれてから四日ぶりに自分の愛機に会えるとなれば、少しばかり足取りが乱雑でも、誰も咎めはしないだろう。
香月に向かって、口でこそああは言ってみたものの、許可無く機体を弄くられるのは気分が悪い。どうせなら自分の目の届く範囲で、作業を行ってもらいたいものなのだ。
そして今、格納庫に到達したリオは、壁に沿って設置されている通路の上から格納庫の全容を眺めていた。
本来ACより頭一つ分大きい戦術機と呼ばれる機体が、十機ほどホールドアームに固定され収まっている筈なのだろう。しかしこの格納庫はその内装に反して収納している機体が少ない。どう見ても半分……いや三分の一以下だ。しかもそれを扱うべき衛士の姿が見あたらない。
これから入る予定か、それとも出払ってるのか。
「………」
違う、もっと簡単な理由だ。
自分の機体、ヴゥルカーンを人の目に晒したくないのだろう。その割には、整備兵とかは普通に動き回ってるし、どっちつかずの光景であるが。
どうでもいいやと思考を放り出したリオは、格納庫の最奥に身を潜めるように、見慣れた機体が膝を付いた状態で放置されているのを発見した。
急いで階段を駆け下り、格納庫のど真ん中を突っ切ってその機体に駆け寄れば、愛機が自分が離れた時の状態で、静かに主の帰りを待っていた。
それを確認した途端、我知らずの内に安堵の溜息が漏れる。
機体が無事だった事、唯一の拠と呼んでも過言ではないその機体に対してリオは、機械という概念を通り越して、身体の一部と感じ取っているのだ。それに、譲り受けた物を自分ならともかく、赤の他人に壊されては悔やんでも悔やみきれない。
汚れてはいるものの無事な姿を見せてくれた機体に、リオの口角が形状を変えた。
慌てて緩んだ頬を引き締めリオは、さてどうしたものかと思う。
これって勝手に動かしたり、弄ったりして良いのか? と考えていると新手の登場。
「おうボウズ、お前がこの機体の持ち主か?」
唐突に背後から掛けられた野太い声に振り向けば、でかい熊が立っていた。その熊がこちらへ近づきながら人間の言葉で続ける。
「……って聞かなくてもわかるわな。機体の無事確かめて喜ぶ奴なんざ、持ち主以外の
何でもないな」
見事な顎髭を撫でながら熊、ではなくそう見えるほどの巨漢の男はリオの傍へ立つと、にんまりと笑みを寄越した。
「いやしかし、泣いてもらえるなんざこの機体も良い衛士を持ったもんだ。そんなにコイツが大切か?」
その肉厚の唇が重低音を吐き出す。
横幅がリオの倍近い体形だが、縦も有る為、愚鈍という感じは受けない。むしろ重壮な雰囲気を醸し出す目の前の男は、まさに巌という言葉がぴったりだった。棍棒のような腕を組みながら頭上にも近い位置で見下ろしてくる。
「当然……です」
辛うじて敬語に切り替えながら言葉を返すリオ。その言葉にさらに笑みを深めた男は、リオの頭をグシャグシャと乱暴に撫でる。リオの答えが嬉しかったのだろう。
「いい返事だ……っと自己紹介がまだだったな。俺の名前は緋稲田久志貴(ひなだ くしき)、このハンガーの整備主任だ。ボウズ、お前の名前は?」
「リオ・レムレース……です」
「そうか……。よっしゃリオ、俺たちゃな、お前のダチをお色直ししろって命令を受けてんだ。といってもコイツに関しちゃ全く無知なんでな。誰かの指示が必要だ」
ヴゥルカーンを見上げながら言葉を続ける緋稲田。その手が何かに合図するように挙げられる。不思議に思ってリオが彼の背後に目をやると、いつの間にか作業用ツナギを着た人間が十数人近く並んでいる。手に手に様々な工具を持ち、その眼はいやにぎらぎらと輝いていた。まるで変なクスリを使っているようだ。
妙な気配に警戒心を抱くリオ。手を振って彼らを散らした緋稲田はリオに向き直る。
「心配ぇするな。見た目通り好奇心の塊な連中だが、腕は確かだ。指示さえ出してくれりゃ完璧に仕上げてやれるぜ。とりあえずそうだな……10番ハンガーに機体を入れてくれ。あと搭乗口はどっちだ? 胸か? 背中か?」
「背中ですけど……」
「なら問題ねぇな……おい、大國っ! このボウズが入れたらバックレイン合わせとけよ! どうせ変わるこたぁねぇんだ!!」
「分かりましたっ!!」
手近な整備兵に怒声に近い指示を飛ばす。そのあまりの声の大きさにリオがビクリと首を竦めた。格納庫全体に響き、作業音さえ掻き消すほどの大音量なのだ。
自身の与えた指示に対する返事を確認すると、緋稲田は改めてリオに向き直る。
「悪ぃな。お前さんのダチは少しばかり小せぇからな。位置合わせやっとかなきゃ落ちちまうだろ?」
「それは分かりましたけど……ボクが指示出すんですか?」
もっともな意見だ。通常なら緋稲田こそその仕事を受け持つべきだろう。だが彼は苦笑を浮かべるだけ。
「香月副司令から直々の命令でな、『子供が1人行くからその子に整備指示任せなさい。下手に弄くって壊したら免職じゃ済まないわよ』って脅されてんだ。それよりとっとと始めようや。俺たちゃもう我慢の限界なんだ」
にやりと壮絶な笑みを造った緋稲田(+背後の怪しい集団)に、頼もしさと一抹の不安を抱いたリオ。放っておくと拙い事になりそうなので、慌てて膝を付いている機体に駆け上る。
今回は戦闘機動を行うわけでもなく、パイロットスーツは不要と判断したリオはそのまま背面ハッチを開放し、スライドしてきたコクピットブロックに滑り込む。搭乗を確認したコンピューターが、そのままコア中央部にまでブロックを移動。ハッチを閉鎖し外界と隔離する。
「メインシステム、起動します」
懐かしい合成音声を聞きながら、機体各部を大雑把にチェック。やはりしばらく放って置かれた所為か、各所、特にジョイント部に疲労が溜まっている。肩兵装のハードポイントも加負荷で少しガタが来ている。
優雅に一つ一つ取り外している場合でもない。少々乱雑だが一度全兵装をパージした方が良さそうだ。
「主任、機体を軽くします。少し離れてください」
その言葉が届いたのか、整備員達が機体から距離を取る。それを確認した後、機体をしゃがませ、パージスイッチを順に入れていく。火薬の炸裂する音のあとに騒々しい音を立てながら、背部兵装、両腕兵装が格納庫の床に落下していく。因みに格納兵装は出す必要がない。文字通り「最後の武器」である格納兵装は、出来るだけ人目に付かせたくない。
そして機体をしゃがませたのは、落下する距離を少しでも縮めて、地面に落下する兵装に掛かる負荷を軽減させようとしたからだ。もっとも落着する寸前で兵装自体が簡単な制動を掛けるから、接地した衝撃で破損する事は滅多にない。とはいえ、掛かる衝撃が少ないに越した事はない。
落着した武装を、整備兵達がいつの間にか起動したクレーンで移動させていた。この世界の兵装とはどう見ても規格が合いそうにないな、弾薬とかどうしようか、香月に聞いてみるべきか、とリオは別の方向へ思考を向ける。
続いて久々に肩の荷が下りたといった様子で機体の各部を動かしてみると、ギシギシと、まるで凝り固まった人間の関節のような音がした。致命的な損傷はないが、放って置いて良いものでもない。機体をハンガーに移動させ、ロックアームに捕まれる衝撃を感じながら、メインコンピューターを一旦落とす。ハッチから這い出たリオを迎えたのは、緋稲田の髭面だった。
「ごくろうさん。さて、こっからが俺たちの仕事だ。とりあえず整備手段に関してはおいおい聞くとして……」
そこで一旦言葉を途切れさせる緋稲田。その視線がヴゥルカーン全体を見渡し。
「……こりゃまずは機体の洗浄からやってくしかねぇなぁ」
そう言って斑模様の機体に触れる。手近な装甲を擦れば、固まったBETAの返り血が、まるで鱗のように剥がれていく。パラパラと舞い落ちるそれを見ながら、これだけで重労働になりそうだと、リオは人知れず溜息をついた。
「ちょっとまってよ、水月!」
背後からパタパタと足音が聞こえてくる。その音と声に速瀬水月は振り向いた。
「早く来なよ、遙。せっかくあの馬鹿衛士の面、拝めるかもしれないんだから」
磨き上げられた通路を、カツカツと足早に進む速瀬。その後ろに涼宮遙が追いつく。彼女は軽く息を整えると、少々困惑した表情を浮かべて言葉を紡ぐ。
「馬鹿衛士って……それは失礼だと思うよ? あの衛士のお陰で随分と助かったんだから」
「だから腹が立つのよ」
言いようのない苛立ちを言葉として吐き出す速瀬。彼女自身内包する苛立ちをどう発散して良いのか解っていないのだ。
「こっちに指示だけ出しておいて、あとは後勝手に、よ? 何様よあいつ! いっそのこと少しばかり痛い目に遭えば良かったんだわ!」
喋っている内にその時の事を思い出したのだろう。段々語調が荒くなる速瀬。
「もう……そんな事言って。助けて貰ったんだから素直に御礼が言えないの?」
「うっ……」
痛い所をつかれ、言葉に詰まった。その様子を涼宮はクスクスと小さく笑いながら眺めている。ややあって速瀬が言葉を続ける。
「そりゃあね……BETA殲滅の援護と、部隊の救援も感謝もしてるわ。あのままだったらもっと犠牲も増えていただろうし。……ただね、あの仲間の事を考えてない戦い方が気にくわないのよ。周囲の迷惑なんかお構いなしって態度もね」
「でも……結果として良い方向に流れたんだし……」
やれやれといった風に苦笑を浮かべる涼宮に、速瀬は少々目尻を吊り上げ視線を向ける。
「甘いよ遙。結果も大事だけどそこまでの過程も大事なのよ。一つの任務が終わるたびに部隊が全滅してちゃ、話にならないでしょ?」
「確かにそうだけど……極論だよ? それ」
「その事を分かってないわ、絶対。任務が成功さえすればいいって考えてるわよ、きっと」
「私の話聞いてる?」
全く聞いていない速瀬は、気に入らない、と涼宮にも聞こえないほど小さく吐き捨て、さらに歩調を早める。
「でも水月。そこまで嫌うなら、何でわざわざ確認なんてしに行くの?」
「考えは気に入らないけど、それと戦闘技術は別物よ。あれだけの機動を行う衛士がどんなヤツか純粋に気になるのよ。どうせこの後は訓練もないし、丁度いい機会だからってね」
「さっき、大尉の所に寄ったのはそれを確認する為だったんだ……でも、その衛士に会えたとしてどうするの?」
「決まってるじゃない、遙」
何をわかりきった事を、と視線で語った速瀬は、グッと握り拳を固めるとそれを顔の位置にまで持ち上げ、ついでに唇の端を吊り上げた。元々鋭い眼光が、妙に据わっている。
「大尉を巻き込んだ礼として、一発くれてやるわ。もっとも、態度次第じゃ一発じゃ済まないかもね」
そう言い捨て、鼻息荒く歩調を早める速瀬の頭の中は、殴るという言葉で満杯になっていた。
この状況になった速瀬に、何を言っても無駄と分かっている涼宮は、小さく溜息をつくと、まだ見ぬ衛士の不幸を同情する。
そんなこんなで格納庫までやってきた2人。軽くサッカーコートほどの広さがある敷地に、人数もそこそこな整備兵達が、至る所に散らばっている。目的の人物がどのような背格好か分からない以上、この中からお目当ての人物を捜すのは、少々骨の折れる作業だ。
「どうするの、水月。これだけ多いと探し出すのは一苦労だよ?」
いくら特務部隊所属といっても、実際に動き回る速瀬と、後方のCPに居座る涼宮では体力が違いすぎる。戦域管制、後方支援が主な涼宮にサッカーコートを走り回って、人1人を見つけてこいと言うのは、確かに少々酷な話だ。因みに速瀬にとってはその程度、苦にもならない。
「ん~……ここは簡単手軽に、その辺の整備兵捕まえて聞き出しましょうか」
いうやいなや、飛ぶように階段を駆け下りた速瀬は早速数人の整備兵と会話している。その行動の早さに置いてきぼりな涼宮が、慌てて追いついたときには、既に速瀬は必要な情報を入手していた。
「ここの一番奥。緋稲田のおっちゃんが居るからそっちに聞いてみろだって」
「緋稲田主任が? それじゃあ、相当大きな作業だったのかな?」
尋ねる涼宮に速瀬は肩をすくめ答えるだけ。
主任といえば聞こえは軽いが、実質ハンガー内の総監督者と言っても過言ではない。そんな立場の人間が、1機だけに関わるなど非効率もいい所だ。総監督と言うからには全ての作業と工程を把握しなければいけない。それすら放り出すのは、他の整備兵には手に負えないほどの箇所があるか、直接個別整備を言い渡された時ぐらいだ。
理由は何にせよ、正体不明の衛士と機体が転がっているのはこの格納庫で間違いないようだ。
「やっと会えるわね……首洗って待ってなさいよ!」
「早まっちゃ駄目だよ、水月! まずは相手の話を聞いてから……って水月が聞いていないし」
逸る気持ちを抑えつけて、2人は急ぐ。もっとも逸っている理由が全く別物だが。
嬉々とした表情で駆け抜けていく速瀬に必死で付いていく涼宮。彼女が速瀬の背に追いついたときには、その眼前には件の機体が佇んでいた。息を整えながら見上げる。
「ふぅ……この機体なのかな?」
「間違いないわね。今まで見た事もない機種だし、なによりっ! あの生意気そうな面構えは忘れようがないわ」
そこは関係ないような。
「うっさいわね! とにかくコイツに間違いないのよっ」
「誰にツッコンでるの水月?」
妙に高いテンションの所為で、別の場所と会話してしまった速瀬を心配する涼宮。そんな彼女たちの頭上から野太い声が降ってきた。
「ああん? 騒がしいと思えば何だ、じゃじゃ馬嬢ちゃんと姫さんじゃねぇか」
「あ、ご苦労様です。緋稲田主任」
「こらおっちゃん! じゃじゃ馬って誰の事よっ!?」
全く反対の反応を返す2人。それを緋稲田は楽しそうに眺める。補足としてじゃじゃ馬が速瀬、姫が涼宮だ。
「お前さんと姫さんを一緒にしちゃ可哀想だろ? 文句があるならもうちょっと女を磨いてから言いな」
「うわ、腹立つ。何よ、こんな美女捕まえてよりにもよってじゃじゃ馬っ!? それに遙だって私と同い年よ!」
「25越えない女は、俺からすりゃまだまだガキンチョだ。まぁ、姫さんの方が謹みって言葉を知ってるだけいい女だな」
「ふんだ、そんな事言ってるからいつまで経っても独身なのよ」
「甘ぇな。俺ぐらいになるとな、何もしなくても女が寄ってくるんだよ。もっとも、寄ってくる女はお前さんみたいなガキンチョじゃなくて、スゲぇ美女ばっかりだがな」
憎まれ口を叩き合う緋稲田と速瀬。といっても2人の間に不愉快な空気は流れていない。涼宮もその事に気付いているのだろう、何も言わず目の前のやりとりを堪能している。周囲には暇が出来たのか、数人の整備兵が同じように眺めている。
「で? その自称美女2人がこんな油まみれのとこへ何の用だ? 整備を手伝いに来たって感じじゃねぇし、そもそもお前さんがたの機体は別の格納庫だろ?」
いい加減満足したのだろう、降りてきた緋稲田が出会って最初に口にするべきはずだった疑問を吐き出す。
「私達、その機体の衛士に会いに来たのよ」
速瀬が顎でアームに保持されている機体を示す。全員の目が機体を見て、そして速瀬に戻ってくる。
「この機体の? そりゃまたなんでだ?」
「ただの好奇心……だけじゃないけどそれに近いかな。とにかく気になったから来てみたのよ。隊長の許可は取ってるから問題ないわ」
「そんなら別に構わんが……タイミングが悪かったな。この機体の持ち主ならもう居ないぞ」
「「え?」」
予想外の答えに期せずして速瀬と涼宮の声が重なる。機体だけ放り出して姿が見えないとはどういう事か。ざっと見た感じ、整備が終わっている様子ではない。となるとハードはともかくとして、ソフトの面で衛士が必要なはずだ。それが居ない?
「どこかに行かれたのですか?」
涼宮が浮かべた疑問に、途端に沈痛な顔つきになる緋稲田と整備兵達。
「……俺たちも、もう少し早く気付いてやるべきだったぜ……あんなになるまで我慢してたなんてな……」
「ええ……」
「気付いてやれてたらな……あそこまで苦しませることもなかったのに」
表情を曇らせて語る緋稲田や周囲の整備兵に、先程までのふざけていた様子はない。その表情に言いようのない何か重い物を感じる。
「危うく大惨事になる所だった……まったく熱が入っちまうと、周りが見えなくなるのは悪い癖だな」
「主任だけじゃありませんよ……俺たちだって……」
「主任……その衛士は一体何処に?」
恐る恐るといった風に尋ねる涼宮。彼女に、緋稲田は神妙な表情で答えた。
「お手洗いだ」
「「……………は?」」
またしても予想外の答えに頓狂な声を上げる速瀬と涼宮。その反応に意外だと言わんばかりの緋稲田。
「お手洗いをしらんのか? 言い方が古かったか……厠、雪隠、御手水、トイレット……聞いた事ぐらい有るだろうが」
「いやそこじゃなくて……ただのトイレ?」
「そうだ」
何故か頷く緋稲田と整備兵達。
惚けていた速瀬は、とりあえず手近にあったスパナを緋稲田に投げつけておいた。避けた彼の背後で、別の整備兵が巻き添えで直撃を喰らっているが、それは放って置いて2人は改めて機体を見上げる。
一度洗浄されたのだろう。濡れたような光沢を放つ、吸い込まれるような深い黒を基調とした機体は、その色に相乗するかのように僅かに紫紺が入っている。全高は戦術機には及ばないものの、重装甲の体格は巨大な壁が目の前に聳えているような威圧感は放っていた。
そんな中ふと、威圧感とは別に、速瀬は奇妙な感覚を憶えた。
人間になりきれないような、存在自体がハッキリしなような中途半端さを感じる。
その原因の一端がメインカメラと思しき不揃いの三つの眼だ。光を失ってはいるが、人型である機体の中でそこだけが唯一、非人間じみていた。むしろその眼は、何も感情を映し出さない無機質な昆虫の複眼に近い。
言いようのない何かを感じて、無意識にゾクッと背筋を振るわせる速瀬。それに気付かず涼宮は彼女に尋ねる。
「どうするの、水月。ここで待ってみる?」
頷いて肯定する速瀬。ここまで来ておきながら、手ぶらで帰るにも行かず手持ちぶたさその辺に腰を下ろそうとした瞬間、聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「すみません、お待たせしました」
「気にすんな、それよりとっとと仕上げちまおうや。後は装甲部の材質補強と……推進器関連だ。とりあえず今日は其処までだな」
「はい」
速瀬達の背後から聞こえた声に、答える緋稲田。頭上を飛び越えた声の到着場所に目を向ければ、整備用安全ヘルメットを被った小柄な少年が居た。訓練兵の格好をした少年は速瀬達に気付き軽く一礼すると、それで興味を失ったのか足早に緋稲田に駆け寄る。ずれたヘルメットを直しながら、緋稲田と会話し始める少年は、整備兵にしては随分と若い。というか子供。
奇妙に感じ、速瀬は緋稲田に疑問をぶつけようとした。
「あのさおっちゃ……」
「速瀬中尉。俺たちゃこれから仕事だ、悪いが後にしてくれ」
速瀬の言葉を遮り、振り返りもせず答えた緋稲田。速瀬に対しての呼称が、じゃじゃ馬から中尉に変化している。その変化は、緋稲田が本気になった証拠。
物理的圧力すら感じる声で、機体に群がった整備兵に指示を出していく緋稲田。先程までのふざけた態度など一片も感じさせず、その声からは凄みまで感じられた。先程居た少年は、既に機体に取り付き、群がる整備兵達の中に混じっている。
仕事中の整備兵達に言葉を掛けるべきではない。彼らは、間接的とはいえ命を預かる仕事をしているのだ。それを邪魔すると言う事は、その機体を操る人間を危険に晒すと言う事。下手をすれば、自身が間接的な人殺しになってしまう。
まぁそれは極論だとしても、仕事に打ち込む大柄な背中は、関係ない話を一切拒絶していた。迫力に負け、引っ込む2人。勿論彼女達とて整備訓練は受けているのだから、ある程度機体に関しての知識はある。しかし、
「多重積層装甲って何だ? 誰か解る奴いるか!?」
「後で説明して貰え! それよりボウズ、背中に埋め込まれてるでかいノズルは何だ? コイツも弄るのか?」
「それは放っておいて! 推進系のチェックはあたしがやる!」
「こっち手足りません!! 何枚装甲板あるんですかっ!?」
「レーザー蒸散塗膜は必要ないんだと! ……すげぇなこの装甲、これだけの耐熱対弾のくせになんて柔軟性があるんだ」
「あれだけ搭載しときながらまだ武器があるってのか? まるで動く兵器庫だな、おい」
とまぁ、整備している人間から怒声と驚愕と驚嘆の声が上がりまくっている。しかも聞いた事もない単語まで飛び交っているとなると、まったく話に付いていけない。借りてきた猫のように縮まっている2人を後目に、まるで新しい玩具で遊ぶ子供のような整備兵達は、それでも的確に仕事をこなしていく。
何時しか気付けば、外界は既に日が落ちていた。
こくり………こくり………がくっ。
「んん……」
待っている間にいつの間にか船を漕いでいた涼宮は、目の前に緋稲田と少年が2人、立ったままこちらを見つめている事に気付いた。その後方では、整備が終わったのか濡れ羽色の機体が静かに佇んでいる。
「おお、起きたか。いやはや、姫さんの寝顔なんてそうそう見えるもんじゃないからな、いい目の保養になったぜ。な、リオ?」
「そうなんですか?」
「そうだ」
無防備な姿を見られていたことに、顔面の熱が一気に上昇する。内心の混乱を隠すように、未だに横で眠りこけている速瀬を少々乱暴に揺する。
「……ふあぁぁぁ……なぁに、遙?」
「なぁに、じゃないよ水月。私達すっかり眠ってたみたい」
いたみたい、ではなく、いた、なのだが、それはさておき。呆れと苦笑を混ぜた緋稲田が先程の用事を引き出す。
「寝るのは構わねぇがな、お前さん方本来の目的忘れちゃいねぇか?」
「あ、そうだった! こんな所で眠ってる場合じゃないのよ。おっちゃん、何処!?」
「目の前にいるだろうが」
「そうじゃないわよ。あの機体の衛士は何処かって聞いてんの!」
鼻息荒く緋稲田に詰め寄る速瀬を宥めながら、涼宮が言葉を引き継ぐ。
「少し落ち着きなよ、水月。それで、緋稲田主任。質問を繰り返しますけど、あの機体の衛士は?」
「だから、目の前にいるっていってんだろ」
「……どこ?」
涼宮は、何か思い立ったのだろう。あっ、と驚きの声を上げた。対して本気で分からないのか、辺りを見渡す速瀬。察しの悪さに溜息を漏らしながらも、緋稲田は言葉を続ける。
「ここ。正確に言えばコイツ」
そう言って、脇に立つ少年を指さす緋稲田。その行動と台詞を理解するのに、速瀬にはきっかり5秒必要だった。
「………………えぇぇぇぇ!? 嘘ぉぉぉっ!?」
涼宮の分まで声を張り上げる速瀬。五月蠅い五月蠅いといった風に、耳を塞ぐ男2人。
「え、だってこいつ訓練兵じゃないの!? 服装だってそうだし、こんなガキンチョがあんな操縦技術持ってるって言うの!?」
「こんなことで嘘ついてもなんにもならんだろうが」
耳をトントン叩きながら、至極尤もな事を言い放つ緋稲田。しかし、呆然としている2人には聞こえていない。
「予想通り驚いたな。まぁ俺も俄には信じられんかったがな」
「そりゃ驚くわよ。こんなガキンチョだなんて想像もしてなかったんだから。はぁ~……へぇ~……」
ガキンチョ、と言う言葉に眉を顰める少年。その事に気付かず、その姿をまじまじと見つめる速瀬と涼宮。口火を切ったのは速瀬が先だった。
「あんた、名前は? どこの部隊所属よ?」
遠慮も何もない、例えて言うなら他人の家に土足で入り込むような図々しさを孕んだその言葉は、少年の表情をさらに顰めさせた。その瞳に警戒の色が灯る。
「人に名前を聞くときは、自分から名乗るのが常識じゃないんですか?」
フンと鼻でせせら笑い無愛想に答える少年。速瀬のこめかみがピクッと引きつる。形だけの敬語など逆に嫌味だ。
「ふ~ん……いい度胸してるわね……目上に対する礼儀ってヤツを教えてあげましょうか?」
「目上だと自覚してるなら、もう少し年下に対して模範になるように振る舞ったらどうなんです?」
売り言葉に買い言葉。速瀬の表情がさらに引きつる。2人の間で涼宮はあたふたし、緋稲田は我関せずといった風に傍観を決め込んでいる。止めるべき人間が少しばかり足りない。
半眼で澄ました表情の少年に対して、速瀬の方はギリギリと眉が吊り上がっていく。
緋稲田の眼には何故か、威嚇する野良猫と澄ましているシャム猫の姿に映った。
「性格の方は大方予想通りね……随分と捻曲がった性格だこと」
「常識と謹みを忘れたような性格よりはマシだと思いますけど?」
いい加減やばい。表面上は2人とも冷静に見えるが、その実2人の間に見えない火花が飛び交っている。このまま放っておけば、いずれ着火して爆発するだろう。
その火花を鎮火させたのは涼宮だった。
「あ、あのね、私は涼宮遙。こっちは速瀬水月。あなたの名前は?」
速瀬に二の句を継げさせないよう矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。少年は涼宮の方に視線を移すと、先程までの無愛想さを消し去り、僅かに警戒心を覗かせながらも年相応の顔に戻って、少し頭を下げながら言葉を返す。
「リオ……リオ・レムレースです」
「こら! 何よ、その態度の違いは!!」
横で喚いている女は放っておいて、涼宮に対してリオから発された言葉は、それだけ。もっともそれ以上に自己紹介しろと言うのも無理なのだが。
「それじゃあ、レムレース訓練兵、あ、訓練兵じゃないのかな? 君の階級は? それにこの戦術機は君の機体?」
自分の服装を見て、そういえばこれって訓練生の服装だったよな、とか思い出しているリオ。となると目の前の人物達は正規兵、つまり自分より立場が上の人間ということになるのだが、そこはレイヴン。実質的な歳の差はともかく、階級など一切歯牙に掛けない。
一応年上と言う事で敬語を使っているが、敬礼なんぞはしない。
「階級に関しては無視してください。正規の軍装がないから間に合わせてるだけです。因みに後者の質問はそうです」
「人の話を聞け!!」
速瀬を無視して、涼宮にしか言葉を返さないリオ。その様子に涼宮はともかく、速瀬がこめかみに青筋を立てだした。
「……おっちゃん、やっぱり私コイツ気に入らない。礼儀とかその辺が全くなってないわよ!!」
「なぁ、じゃじゃ馬嬢ちゃん………お前さん、五十歩百歩って言葉知ってるか?」
「うっさいわね。これでも上官で年上なのよ!? 幾ら私達の部隊がその辺に寛容だからって、限度があるわよ、遙も何とか言ってよ!!」
さっきから血圧の上昇が止まらない。そんな速瀬を後目に、リオと涼宮は会話が続いている。
「じゃあ、ボクが介入した仕事を行っていたのがあなた達なんですか?」
「うん、そうだよ。だからあの時はCP内でも大混乱でね。私達の所でさえそうだったんだから、現場は……特に水月なんか大騒ぎだったらしいよ?」
あのお姉さんね、と微笑みながら指さしてくる涼宮。それを見て納得したように頷くリオ。晒し者にされたように感じた速瀬が、その辺の工具に手を伸ばし始めている。いい加減止めに入る緋稲田。
「でも、凄い機体だよね。こんなに重装甲なのに、不知火並みの機動が出来るなんて」
「不知火……ああ、あなた達の機体ですか。そりゃ、あれぐらい動けないと生き残れませんでしたから」
その言葉に涼宮の表情が僅かに変化する。
「生き残れないって……一体何歳から戦術機に乗ってるの?」
「あ、いや……それは……」
何気ない質問に言葉を詰まらせるリオ。本当の事を言うわけにもいかず、どうしたものかと思考を働かせる。その沈黙を別の意味に解釈したのだろう、涼宮は笑顔で質問を撤回する。
「あ、ゴメンね? 言えないならいいよ。無理に聞き出す事でもないから」
「助かります……あ、そうだ。ボクが巻き込んだ機体の搭乗者、大丈夫でしたか? 派手に前面装甲が歪んでましたけど」
誤魔化すように別の話題を持ち出すリオ。
「巻き込んだ……ああ、伊隅大尉ね。うん、大丈夫だよ。それに大尉も、大きな損傷はないから気にするなって言ってたでしょ?」
「言われましたけど……やっぱり気になりましたから」
「そうよ、それよ!」
突如として横合いから声が飛び込んできた。その犯人である速瀬は、獲物を見つけた猛禽類のような目をしている。
「リオっていったわね? 一発で許してあげるから我慢しなさい」
そう言って握り拳を作る速瀬。話の繋がりが読めず、疑問符を頭に浮かべるリオ。
「何でいきなりそうなるんですか」
何言ってんだコイツ、と言った雰囲気を隠しもせず反論するリオ。それに対し、速瀬は視線の鋭さを増すだけ。
「あんたさっき言ったでしょ? 自分の攻撃に大尉を巻き込んだって。その始末よ」
「み、水月?」
「遙はちょっと引っ込んでて。まさか言い訳なんてしないでしょうね?」
その台詞に、初めて焦ったような表情を浮かべるリオ。
「ちょ、ちょっと待って下さい。あなたには全く関係ない……」
「ふざけるなっ!!」
周囲の空気を一喝する声。思わず言葉の続きを飲み込むリオ。周囲の整備兵も何事かと視線を向けてくる。
普段から声を荒げる事の多い速瀬だが、今回は異常に熱が籠もっている。元々血の気の多い彼女が、気に入らない人間を前にして、素直に黙っているはずがない。
「一歩間違えれば大尉は死んでたのよ? そんな事しておいて、御免なさい一言で済むと思うんじゃない! 大尉が許しても私は許さないわよ!」
浮かべていた笑みを消し去り、一転真剣な表情でリオの言葉を切り捨てる速瀬。その迫力に押され、一歩後ずさりながら言葉を呑み込むリオ。同時にやっと速瀬が怒っている理由が理解できた。
彼女は自分の仲間が危険に晒された事を随分と気にしているようだ。しかもその原因が目の前にいるのだから、怒り出すのも無理はない。勿論彼女とて、全面的にリオを非難しているわけではない。彼のお陰で助かったのも事実なのだから、あの時は手を挙げる訳にもいかなかった。
だが、世の中には理解は出来ても納得できない事がある。いくら敵を殲滅する為とは言え、味方まで巻き込んでの攻撃は、速瀬にとってはとても容認できる物ではなかったということだ。
そのことを理解した涼宮が仲裁に入るべく言葉を紡ぐ。
「そんな水月……いくら許せないからって。それに大尉自身は許してるんだし、ね?」
「甘いよ、遙。こういう事はしっかりとケジメつけとかないと駄目。また同じ事繰り返されちゃ堪らないわよ。子供躾るなら、痛い思いさせるのが一番手っ取り早いの」
そう言い切ると改めてリオに向き直る速瀬。既に拳は固く握られている。
本気を感じ取ったリオが周囲に助け船を求めるも、涼宮は沈痛な面もちで気まずそうに視線を逸らし、緋稲田は腕組みをして微動だにしない。周囲の援護は期待できない。
どうしたものかと思考を回転させ手段を探す。
単純に考えれば反撃することは容易だ。
上手く行けば返り討ち、とまではいかなくてもそれなりにダメージを与える事は可能な筈。どう見ても、目の前の女性は自分を子供と侮っている。今まで何人そんな侮りを抱いていた人間を沈めてきたことか、それこそ数えるのも面倒なほどだ。
手っ取り早く終わらそうとする自分に、別の自分が告げる。脳内では既に打算的な考えが働きだしていた。
だが、待て。ここは大人しく殴られていた方が良いのではないだろうか。
この基地で生活する以上、周囲との諍いは少ない方が動きやすい。勿論、今にも殴り掛からんばかりの女性とは今回が最初で最後の出会いだろうが、周囲の整備兵達の目がある以上、下手に雰囲気を荒立てるのも得策ではない。
子供心ながら、周囲とある程度協調関係を保つ事は重要だ、とリオは理解している。
そう考えるなら、目の前の女性を殴り倒して後々遺恨を引きずるのも馬鹿らしい。釈然としないが、周囲の視線を探れば、彼女の言い分の方が筋が通っていると理解できる。
「はぁ……」
周囲に聞こえないよう、小さく嘆息するリオ。
それはそうだ。殴られて悦ぶ人間など、何処の世界でも極少数だろう。そして幸運な事にリオは、その極少数に含まれていない。
仕方ない、一発ぐらいは我慢しよう。
脳内会議は数瞬でケリが付いた。そう決断して、リオは視線を速瀬に向ける。
と、自分の視線と交わる速瀬の視線に、僅かながらの罪悪感を感じ取った。それに気づき目の前の女性は、決して私怨だけで行動しているのではないと理解したリオは覚悟を決める。自己満足かも知れないが、何かしら理由があった方が理不尽にも耐えられるというモノだ。
奥歯を噛み締め、身構えたリオに対して、初めて速瀬は唇の端を吊り上げた。
「へぇ……いい顔ね。まともな表情も出来るじゃないの」
リオの打算的な考えなど露知らず、笑みを深める。
「……大人になろうと思いましたから」
様々な意味を込めたその言葉にさらに笑みを深めた速瀬は、次の瞬間には予備動作に入っていた。
鈍く肉を打つ音が広い格納庫に響いた。さらに何かが倒れる音が続く。その中に小さく涼やかな音が混ざった。
「………いってぇ」
頬をさすりながら身を起こすリオ。本日2度目の痛みだ。一発入れ終わった速瀬は、何をするともなく、佇んでいる。
いや、よく見ればその表情が僅かに歪んでいるのだが、それに気付けた人物は居なかった。
「済んだかい? 嬢ちゃんよ」
いつの間にか含み笑いを浮かべた緋稲田が尋ねてくる。気付けば、周囲からは好奇の視線が飛んできていた。苦笑を浮かべた周囲の整備兵に、照れ隠しなのか威嚇の声を上げている速瀬。その頬が微妙に赤くなっている。
「少しは手加減してあげなよ、水月……」
「これでも手加減した方よ。だって歯とか顎の骨とか折れてないでしょ?」
手加減されなかったら骨が折れるんだ。
殴られた頬をさすりながら、安易に決断した思考を深く反省するリオ。衝撃で頭がくらくらするのは錯覚ではないだろう。とりあえず、後で医務室で湿布貰っておこうと心に誓う。
それに対して速瀬は気が済んだのか、普段通りの自信満々な表情に戻っている。
「何も此処でやらなくてもいいだろうに……ま、普段見れん物も見れたからいいとするか」
呆れの所為か、笑いを浮かべ去っていく緋稲田。彼の仕事はとっくに終わっていたのだから、よくよく考えれば自分達は見せ物になっていたのだろう。
古来より他人の色恋沙汰と喧嘩は、兵士の間では恰好の娯楽代わりとされてきたが、それは何時の時代になっても同じと思える。それこそ違う世界でもだ。
「はぁ……」
肉体的にも精神的にも疲れたリオが、小さく嘆息する。その背中が随分と煤けて見えるのは、周囲の目の錯覚だろう。
もう一度殴られた頬に手を当てるリオ。じわじわと痛みを増してきたその箇所は、触っただけで分かるほど熱を発している。幾分もしない内に腫れ出す事だろう。と、頬に当てていた手が急に引っ張られた。その犯人は涼宮。
「それじゃ、レムレース……君でいいかな。医療ブロックに行きましょうか」
先程までとは態度を一変され戸惑うリオに、涼宮は優しい笑顔を向ける。その表情は子供を見る母親のようだ。
「え、いや、いいですよ。っていうか、なんであなた達がそんな事を……」
腕がより一層強く引っ張られる。犯人に速瀬が加わった。引き千切らんばかりに引っ張られ、付いていくしかないリオ。見上げるものの腕を引いて前を歩く速瀬の表情は見えない。
「ぐだぐだうっさい。いいから付いてきなさい。顔腫らせたままで居られちゃ、こっちも寝覚めが悪いのよ」
ぶっきらぼうに吐き出す速瀬。リオの方を向かないのは、もしかして照れているのだろうか。
「あんたのケジメはさっきの一発でついてんのよ。今度は私達の番よ」
「私達っていうか水月1人なんだけどね……」
苦笑を浮かべ、リオを速瀬に引き渡し後を付いてくる涼宮。未だに真意を図りかねているリオに、小さく耳打ちする。
「口ではああ言ってるけど、水月も好きで殴った訳じゃないよ? ただ、こういう事に関しては融通が利かないから……だからね、殴った分の責任は果たそうと思ってるの」
「でも、あれはボクが悪いって言ってましたし……」
浮かべた笑みを消さないまま、その言葉を聞く涼宮。聞こえているだろう速瀬は何も言わない。
「あなたが大尉を巻き込んだ事へのケジメは水月が付けた。それなら無関係ながらあなたを殴った水月は、どうやってケジメを付ければ良いと思う? あなた自身が許しを与えるか、本人が罪滅ぼしをするしかないんだよ?」
「………」
「でも、あなたが許しても、水月本人が納得しなくては意味がない……そういう事だから、大人しくしててね?」
よく理解できない、といった表情を浮かべるリオ。この辺は子供なので、まだまだ経験が足りないのだ。ただ一つ言える事がある。
「意外と優しいんですね……」
小さく呟かれたその言葉に、ボッと音を立てて顔を赤くした速瀬。
「か、勘違いしないで! 私はただ自分のケジメを付けたいだけよ! 別にあんたの為だけじゃないんだからっ!? そこの所間違えないでよっ!!」
照れ隠しになのか早口に捲し立てる速瀬。頭越しに怒鳴られたリオは、何がなにやら分からず、眼を白黒させている。唯一理由の分かった涼宮は、速瀬を宥めながら、浮かべていた笑みをさらに深い物へと変えた。
因みにこの後、顔の赤いまま医療ブロックに赴いた速瀬が、衛生兵に風邪と勘違いされ検査を受ける羽目になるのだが……それはまた別のお話。
後書き
此処までお読み頂き有難うございます。筆者のD-03です。
何とか予告どおり、ヴァルキリーズから速瀬水月と涼宮遙を登場させることが出来ました。2人ともオルタというより、君望寄りの性格となってしまいましたが、筆者としては書いていて楽しいキャラです。
それといきなり速瀬とリオの関係が悪化してしまいましたが、筆者としましてはむしろ、この関係のほうが楽しいのでしばらく放置しておこうと思います。速瀬と喋るときだけリオは年相応になりますしね。
さて、次回はヴァルキリーズ全員との顔合わせの予定です。しかし、速瀬と涼宮姉妹はまだしも、伊隅はどうしたものかと頭を捻っております。オルタ本編と君いたではだいぶキャラが違いますからね。
では、次回もどうぞ、リオにお付き合いください。