第陸話




 「暇だよ……」
 転がりながらリオは呟く。もはや何度目か分からないその呟きを聞く者は、周囲に1人としていない。
 それもそうだろう。リオが今居る部屋は、普通の人間には縁のない部屋なのだから。
 まずリオが転がっているのは、古く傷んだベッド。柔らかさという言葉を忘れたような粗末さに、最初は粗大ゴミかと思ったほどだ。安定性が悪く上に乗るたびにギシギシ軋むし、黄ばんだシーツ。廃品回収が来れば速攻で回収されるであろうボロボロさだ。
 見上げれば天井には薄暗い粗末な照明がぶら下がり、採光用の窓も背後の壁に一つだけ。それだってとてもじゃないが届かない高さにあるし、そもそも小さいから採光用として役に立っているのかどうかも謎だ。しかもその窓には、ガラスともう一つ、黒光りする物が嵌っている。その窓から視線を移し、周囲を見渡せば、三方が薄汚れた壁に囲まれ残りの一方は通路に面して開け放たれている。
 そして極めつけは、その開け放たれている箇所に嵌っている鉄格子。とても人間の力では太刀打ちできそうにない太さのある、冷たく黒光りするその物体にリオは恨めしそうに視線を向ける。その姿は正に籠の中の鳥だ。
 拘留所、営倉、ブタ箱、留置所、牢屋、監禁部屋……呼び名は多々有れどその部屋の目的はただ一つ。
 中に放り込まれた哀れな生け贄を、周囲から隔離する事。
 そして哀れな生け贄であるリオ=レムレースは、これ以上ない程その部屋に歓迎されていた。
 体は拘束具で固められ、まるで芋虫状態。外されるのは食事とトイレの時だけで、睡眠時でさえベッドに縛り付けられる始末。まるで重篤精神病患者か凶悪犯罪者のような扱い。
 連行された日に、検査だ何だと行われ、それが一通り済んだらこの始末。その状態が丸々三日続いている。最初の一日には声を出してささやかな抵抗もしてみたが、待遇が改善されることもなく、むしろ状況を悪化させた。いい加減、飽きるを通り越して苦痛だ。
「ひまだな」
 実に分かりやすい言葉を発しながらリオは、体を左右に揺らす。その行動は抵抗の意思の表れか、ただ単に悪足掻きか、暇つぶしか。しかし、安定性の悪いベッドの上、そんな事を続ければ結果は目に見えている。
「うわっ!?」
 予想通りベッドから転げ落ち、無様に床に転がる結果となった。それでもリオの悪足掻きは止まらない。
「出して……」
 蚊の鳴くような声を出しながら転がり始める。
 右へゴロゴロ、左へゴロゴロ。滑稽なその姿は、とても一騎当千のレイヴンとは思えない。ただの落ち着きのない人間だ。
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
 一旦止まり反対方向へ転がる。何度も何度も無意味な行動を繰り返す。
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
 ……良い暇つぶしかも、とリオの頭に危ない思考が浮いてきた。
 すぴーどあっぷ。
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロッ……!
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロッ……!
 ゴロゴロゴロゴロゴ
 ガンッ!!
「~~~~~~~っ!?」
 じたばた。
 停止が遅れた事で、ベッドの脚に強かに頭部を強打。さんざん貶された仕返しと言わんばかりのその一撃は、頑丈なリオが悶絶するほど痛い。
 拘束着を纏って転がりだし、挙げ句の果てにベッドの脚に頭部をぶつけ、じたばたと悶絶中。この光景を見た人は総じて同じ言葉を発するだろう。
 こいつは馬鹿か? と。
「うぅぅ……結構痛い……」
 その馬鹿、じゃなかったリオは、涙目になりながらぼやいている。暇つぶしという前提は成功したのだから、この痛みも無意味ではないだろう…………そうでもないか。
「……さっきからなにやってるのよ、あなたは」
 唐突に頭上から声が降ってきた。首だけを曲げて見れば、白衣を纏った人物が鉄格子の外に立っている。通路の照明で逆境になり、表情はよく見えない。が、声質から女性だということ、そして呆れられているのが手に取るようにわかる。
「……ただの事故です」
 見られていた羞恥心に心の中で悶えながら、情けなく声を返す。別の意味で涙がこぼれそうだ。
「なんだってこんな馬鹿が……」
 馬鹿ってオイ。
 額に手をやり嘆いている女性を見上げながら心の中で叫ぶ。
 声に出ないのは本人でも否定しきれないからだろう。まぁ、こんな光景を見れば十中八九、いや十中十が馬鹿だと思う筈だ。
 これ以上罵倒されない為にも、リオは寝転がったまま質問をぶつける。
「一体誰ですか? こんな薄暗い所に女性が来るべきじゃ無いと思いますけど? っていうか出してください」
「随分と遠慮を知らない言葉使いねぇ……まぁ、いいわ。随分と楽しそうに見えたんだけど、そんなに外に出たいの? 意外と快適だと思うんだけど」
 しゃがんでリオに視線を合わせてくる女性。よく見ればかなり整った美貌なのだが何故か、美人、と言い切れない雰囲気がある。そのルージュを引いた唇が皮肉を紡いだ。
「本当に快適なら文句は言いませんよ………」
「あらそ。じゃ、条件があるわよ。言う事を聞いてくれるなら出してあげられるけど?」
「……因みに嫌だって言ったら?」
 その質問をした途端、女性の顔が笑みの形に歪む。ちょっと怖い。
「そうね……手っ取り早くスパイとして処刑されるか、精神異常者扱いで厳重隔離か。どのみち、まともな最後は迎えられないわね」
 その表情は、反対できるものなら反対してみなさい、と暗に語っている。
「素直に従えってこと……わかりました。わかったから早く……縛られ続けてあちこち痛いんです」
「はいはい、ちょっと待ってなさい……ついでに、お仲間にも会わせてあげるから」
「仲間? レイヴンが他にも居るんですか?」
 リオの問いには答えず、ただ笑みを返すだけの白衣を着た女性。その笑みに、リオは底知れない何かを感じ取った。
「そのレイヴンっていうのが何か分からないけど……あなたと彼は仲間には変わらないわ。大きな意味ではね……」
 そう言うと女性はスタスタと歩き去っていく。その後ろ姿を見ながらリオは軽い返事を返した己の未来に、一抹の不安を抱いた。
 何かとんでもない事に首を突っ込んだ気がする、と。



 またしても身体検査、検疫、その他諸々を済まして気付けば早数時間。既に外は闇が深まる時間帯。その時分にリオは、香月夕呼(+横浜基地副司令)と名乗った女性の部屋にいた。
 その身に一時的のこの基地の訓練兵用である軍服を身に纏っている。因みに正式な軍装はストックが無いとの事。しかし、その訓練兵スタイルにも一つ重大な問題があった。
 その問題とは。
「合わないんですけど……」
「あなたが規格外なのよ。子供が着るなんて、想定するわけないでしょ?」
 袖が余っている服を摘みながら、呟くリオ。その姿を見て我慢しなさいという雰囲気の香月。一般成人男性のサイズではあるが、フリーサイズが合わないとはどういう事か。
 それはリオを観察すれば分かる。
 大雑把に切られた銀髪は首筋を隠す程度の長さ、体が動くたびに揺れるその髪はまるで銀糸のように煌めき、細い首筋は一見女性に近い。それを支える体は絞られてはいるものの小柄であり、相応に手足も引き締まってはいるが、長さがあるとは言えない。
 簡単に言えば、少年だ。年の頃は見た目から判断して12~13歳辺り。どう見ても徴兵年齢には達していないであろう、兵士となるには未熟すぎる子供の姿であり、肌の色は先天性白皮症かと見間違うほどの白さ。その顔の造形は可愛らしさと、まだあどけなさを感じ取れる。
 しかし、あどけなさを醸し出す顔の部品の中で唯一、眼だけが兵士のそれだった。
 警戒と緊張と安堵を平等に表す頭髪と同じ銀色の瞳。その瞳は非人間的と言っても過言でないほど美しく透き通っている。そして何故か腰には、涼やかな音を立てる鈴がぶら下がっている。
「あんな機体を扱うからどんな化け物かと思えば……まさか、こんな子供だったなんて。まったく、どう説明しろってのよ……」
 自身の仕事の光景を思い浮かべたのか、ウンザリとした表情で呟く香月。対してリオは、完璧に他人事だと思いこんでいるのか、さして気にもしない雰囲気だ。
 丸椅子に座り、脚をブラブラ揺らす姿は、どう見ても子供である。
「そんな事はどうでも良いです。で、何が聞きたいんですか?」
 この部屋に来る前に香月に言われたのだ。あなたが持っている情報を開示しなさい、そうすればこっちも相応に答えてあげるから、と。
 身体検査やら、サイズの合わない服やらで随分とタイミングがずれてしまった。香月も今思い出したかのような反応を返す。立派な机に備えられている、これまた立派な背凭れ付属の椅子に腰を下ろしながら言葉を吐き出し始める。
「ああ……そうね。まずはあなたが憶えている事、話してみなさい。事件でも何でも良いわ。何か大きな事があったんじゃないの?」
「……話すも何も副司令なんて立場ならボクより詳しいんじゃないですか? まぁ、ヨコハマ基地なんて聞いた事もないですけど。所属はアライアンス? あ、生体兵器捕獲してたからキサラギ?」
「こっちの事は後でいいから。とにかく知ってる事言ってみなさいよ」
 釈然としないと言う表情をしながらも、リオは、ナービス社の新資源発見からバーテックス動乱までの約2年間を思い出す。勿論それ以前の記憶もあるが、あまり思い出したくはないし、関係があるとは思えないでとりあえず放置。
「えっと……」
 そう切り出し、リオは淡々と語っていく。
 ナービス社の新資源発見による企業間抗争、それによる大規模災害の勃発。その半年後に起こった、支配する者と何者にも与しない者の対立。そして出現した所属不明機による混乱。それを阻止する為の最後の依頼。
「……それでその依頼を済ませた直後に機体ごと吹き飛んだ……らしいです。その後は気付いたら変な場所で寝ていました。で、状況を知る為に動き回っていたらあの戦闘に遭遇したと……」
「……それで終わり?」
「大まかな流れは」
「じゃ、別に良いわ。時間掛けるのも面倒だし。しかし、また来るとはねぇ……今度はどんな理由かしら……手助け?……」
 意味不明な言葉を呟きながら、しきりにリオを眺める香月。
 その視線には珍しい物を見ている好奇心に満ちた感情と、実験動物を値踏みする感情が混じっていた。その視線が気に入らなくて、眉を顰めるリオ。当の香月はそんな事を歯牙にも掛けず、ひたすらブツブツと呟いている。いつまで経っても終わりそうにないので、リオの方から途切れさせる。
「で、いまさら歴史の復習みたいな事をさせたのは何か意味があったんですか?」
「ええ、大ありよ」
 やや憮然として食って掛かるリオに、香月は笑みを向けてくる。勿論好意的な笑みではない。獲物を見つけたと言えば言葉が過ぎるが、それに近い表情だ。
「何ですか……気持ち悪い」
 女性に対し気持ち悪いとはかなり失礼だが、当の香月は気にしていない。敵対心丸出しのリオの雰囲気にさらに笑みを深めながら、とんでもない言葉を口にした。
「まどっろこしいのは嫌いだから単刀直入に言うわね」
 そう言って、一つ大きく深呼吸を行う香月。その唇が予想だにしない言葉を吐き出した。
「ズバリ、あなたは別の世界からやってきた、どう?」
 ………………何だって?
「いや、どう? とか言われても……何言ってるんですか。寝惚けてます? ドクター呼びますか?」
「呼んでも良いわよ? ただし、連れて行かれるのはあなただけど」
「ゴメンなさい、ボク冗談とか得意じゃないんです」
「謝る必要なんて無いわよ。冗談じゃないんだから」
 冗談であって欲しかった。
 その言葉で混乱し始めるリオの思考。
 別の世界って何だよ。ここは自分が居た世界じゃない? 全く意味が分からない。
「ふふん、混乱してるわね。でも、あなたがワケわかんなくたって世界は変わらないわよ」
 言い聞かせるように語る香月。もちろんそんな言葉で納得できるほど、リオは大人ではない。とはいえ、ここで感情を出した所で何も得にはならない。自制心を総動員し平常心をぎりぎり保ち、疑問をぶつける。
「じゃあ、香月……さんの言う別の世界だとして。あのACみたいな機体は? 大量の生体兵器は? そしてあなた達があの生体兵器と戦闘していたわけは?」
「さん付けは気持ち悪いから辞めて。……そうね、まず問1の答え。あの機体は私たちが開発した戦術機って呼ばれる代物。正式名称は戦術歩行戦闘機、長ったらしいから縮めて戦術機って呼ばれてるわ。問2の答え、あの大群はBETAと命名された地球外生命体。正式名称は省くけど、生体兵器っていうのもあながち間違いじゃないわ。で、問3。簡単に言えば、私たち人間は地球外生命体……あなたの言う生体兵器と戦争してる真っ最中ってこと。正体不明の敵を捕獲するのは当然のことよ。理解できた?」
 そんな簡単に出来るか。
 文の中に散りばめられた単語を抜き出し、噛み砕き、意味を咀嚼して、自分の脳という名の胃袋に放り込み、解釈という名の吸収を行う。その行為に、リオは十数秒の時間を有した。ここが戦場で有れば即死亡するであろう程の時間を掛け、ゆっくりと理解していく。
 レイヴンであり、幾多の戦場を潜り抜け、それなりに世界の酸いも甘いも味わい尽くしたという自負がリオにはあった。だが流石に、別世界にまで飛ぶという体験をした事は無い。
「じゃあ……ここは地球じゃ無いって事ですか?」
「いいえ、地球である事は確かよ。ただあなたが居た世界とはだいぶ違うようだけど」
「全く違いすぎます。ボクの世界じゃ、戦術機でしたっけ? そんな物は見た事もないですよ」
「その代わりあの機体が有るじゃない」
「それは……生活していくのに必要でしたから」
「こちらだって変わらないわ。違うのは開発経緯と機体構成だけ。それらが存在している事自体は一緒なのよ」
「で、でも、同じ地球なら何でこんなに違うんですかっ!?」
 いきなり、異星人と戦争してます、と言われ冷静に受け止められる訳がない。普通なら笑い飛ばして終わるような話も、実況証拠をあそこまで見せつけられれば疑いようもない。それがリオに一層の混乱を招く事となった。
 その様子に一旦息を吐き出す香月。今にも食って掛かりそうなリオの眼前に、香月が落ち着けと言わんばかりに手を翳す。
「説明してあげるから落ち着きなさい。そうね……まず、パラレルワールドって解る?」
 その問に、頭上にクエスチョンマークを浮かべる少年。面倒くさそうに嘆息する白衣の美女。
「平行世界、並列世界……なんて呼ばれる事もあるわ。早い話が、私達が居るこの世界の他に同じような世界が有るって事よ。それも無数にね。そしてそれは、物体においてさらに枝分かれしていくの」
 突然始まった講義に、慌てて対処しようとするものの、言われている事の半分ほどしか理解できない。
「例えばそうね……Aという人物の目の前にリンゴが置いてあるとするわね。それを食べるか食べないかで、まず世界は二つに分岐する。食べた世界と食べなかった世界にね。此処までは理解できた?」
 顎を引いて肯定する。
「そして食べた方の世界で、そのリンゴは熟れていたか、熟れていなかったか。はたまた新鮮だったのか、腐っていたのか、そういう違いによって世界はさらに分岐していくの。そこからさらに枝分かれ、そして分かれた先でさらに枝分かれ………と、例えるなら枯れることがなく永遠に成長していく植物の無数の果実ってことになるかしら。果実が世界、そこまでの枝が分岐した選択を表しているわ。枯れることがないからどんどん増えていくわけ」
「でも……その話ならボクのいた世界とこの世界の何処かに、似通った場所が有るって事じゃないですか。でもそんな物なんて……」
「根本的な事から考えなさい。Aがリンゴを食べなかったという選択肢もあるのよ? いいえ、リンゴならまだ良いわ。その選択肢が世界を動かす程の事象……そうね、BETAとかそっちの新資源とかいうやつかしら」
「つまりボクが居た世界とこの世界の違いは、BETAが現れたか現れなかったって事ですか?」
「かなりの暴論の上に飛躍してるけど……あながち間違いとも言えないかもね」
 褒められた所で嬉しくもない。
 だが、その思考とは別の場所で、冷静に状況把握する自分が居る事をリオは発見した。確かに別世界云々はとんでもないが、そう言う事で有れば今までの不可思議な現象が一本の線で繋がる。
 何とか理解したリオは、次の瞬間には一旦思考をクリアにし、香月の方へ向き直る。その反応に僅かに驚きの表情を浮かべる香月。
「ふぅん……意外と飲み込みが早いのね。てっきり錯乱するかと思ったのに」
「そうなる一歩手前でしたけど。とりあえず落ち着いて……はいないけど、何とか」
「そう? じゃあ、今度は私から質問させて貰おうかしら」
 その言葉を発すると同時に、香月の表情が一変する。その顔には先程まで浮かべていた笑みが消え去り、代わりに冷たいと表現するのが最適な能面が張り付いていた。すっ……と椅子から立ち上がる。
「正直に答えなさいね……あなた一体何者?」
 先程までの質問と矛盾するような問いかけ。その真意を測りかねて質問に質問で返してしまうリオ。場の空気が一瞬で凍り付く。
「何者って……さっき言ったようにリオ・レムレース……レイヴンです。子供ですけど」
 僅かに皮肉を込めた言葉を受け流し、再度言葉を紡ぎ出そうとする香月。その表情は冷たさと、僅かに硬さを含んでいる
「言葉を間違えたかしら? じゃあ、言い替えてあげる。あなたは何なの?」
 立ち上がった香月の発したその言葉と同時に、目の前に、紙を数枚挟んだボードが投げ寄越される。床に散らばったその紙束は先程行われた医療検査の結果だろう。様々な数値やグラフが並ぶはずのその紙に、簡潔に一言「不明」と書かれている。その言葉でやっと問いかけられている内容が理解できた。
 「何者だ」ではなく「何だ」と問われているのだ。それは人間に対して使う表現ではない。物や無機物に対して使う表現だ。
「ああ、そういうこと……」
 銀の瞳が暗い色を帯びる。呟いたリオは首筋の後ろにそっと手を当てる。瞳と同じ色に光る髪の陰、子供特有のきめ細かい肌の中に、一部硬質感が混じっていた。その感触は肌の柔らかい触り心地から突如として変化する。端的に言えば硬質な何かが、首筋に埋め込まれているのだ。
 その行為を眼にした香月は言葉を続ける。
「そこだけじゃないわ。筋肉も、骨格も、果ては内臓も含めて見たこともない擬似生体組織。しかも本物以上の耐久度で区別が付かないほどの高性能。私の姉じゃなければ判断できなかったでしょうね」
 一旦言葉を切り、香月は未だに手に残っている書類を眺める。背中を向けているため、その表情は伺えない。
「極めつけはこれよ。神経系の殆どが珪素で構成されている、という事。この技術は私達の世界じゃ存在すらしていない……というよりこんな無茶苦茶考え付くはずが無いわ」
 人間の神経は主にタンパク合成から成る。イオン物質による情報伝達速度は、秒速30メートルから120メートル。個人差があるもののせいぜいその程度だ。
 だがリオの場合、タンパクに代わり珪素でその神経が構成されている。
 例えて言うなら、光繊維が神経の代わりをしているようなものなのだ。その結果光速に近い反射反応が行える。もっともそれを行うには脳細胞及びその反射に答える筋組織に多大な負荷が掛かる。諸刃の剣であるその恩恵に耐える為、リオの体は疑似生体組織で強化されている。
 何にせよ、普通の人間がそんな神経、そして肉体を持つはずがない。
「存在すらしていない、ですか……まさか、そんな事でボクが別世界の人間だと断定されるとは思ってませんでしたけど」
 苦笑を浮かべたリオが呟く。その呟きは、振り返った香月と突き付けられた黒金の物体によって途切れさせられた。
「さて、随分と珍しい情報を持っているようだから洗いざらい喋ってくれるかしら。そうすれば死ななくて済むわよ? 私だって子供なんて撃ちたくないし」
 いきなり何を言い出すのかと思うが、冷たさを増した表情はどう見ても真剣そのもの。異論の入る余地がない。
 今までの態度が嘘のような切り替え。が、リオはその言葉を受けながらも苦笑を消さなかった。
「脅すなら下手な芝居辞めた方がいいですよ? あなたに僕を撃つつもりはない。撃てない、とも言いますけど」
「あら……何故そう思うのか、聞いても良いかしら?」
 銃口を突き付けたままの香月と、突き付けられたままのリオ。一見すれば主導権がどちらにあるかはすぐ分かる。だと言うのに、リオは焦っている片鱗すらない。浮かべた笑みを消さないまま、すっと右手を挙げその内3本の指を立てる。
「まず1つ。殺すつもりならわざわざ此処に連れてくる必要がない、という事。始末したいなら牢屋の中で放って置いても良いし、スパイとして銃殺刑にしても良い。今までの会話だって頭のおかしくなった人間だって言えば納得できるし、副司令という立場なら簡単に行える。でも、あなたは敢えてしなかった」
 指を1本倒す。
「2つ。此処まで会話していて分かったけど、あなたは無駄な事を嫌う性格でしょ。にも関わらず、自分で僕から情報を聞き出そうとした。これは他人には聞かせたくない、もしくは自分で処理できる範囲で済ませたいということじゃないんでしょうか。それにここで僕を殺せば、死体の処理やその他諸々で人手が必要になります。幾ら箝口令を強いても絶対に漏れないとは言い切れない。人殺しをする副司令、という肩書きが付いて回る事になりますよ?」
 次の指を一本倒す。
「確かにそうね。でも、逆に言えばその程度の肩書きで上手く収まるのよ?」
 それに対して表面上は冷静な香月。だが内心の動揺を伝えるかのように突き付けている銃口が一瞬ぶれた。その反応を楽しむように、リオは浮かべている笑みをさらに深める。
「そうですか。でもあなた自身に脅迫する気は有っても、殺すつもりは元々無いんでしょ? それじゃ意味がないですよ。相手に殺す気がないと気付かれたら脅迫なんて成立しませんから」
「どうしてそう思うの?」
「だって……安全装置外れてませんから」
「え?」
 突き付けられている銃を指さし、軽く言い放つリオ。その言葉に初めて驚きを浮かべ、視線を自身が突き付けている銃に向ける香月。リオから視線が一瞬外れる。それで充分だった。
 一瞬で閃いたリオの右手が香月の右手首を掴む。そのまま自身の方に引き寄せながら、自分の体を半身に捻り、銃口の延長線上から離脱しながら前進。引き寄せる香月の体の外側に回り込むように移動し、空いている左手を白衣に包まれた肩に添え、右手で腕を捻りあげながら左手を押し込む。無理矢理前傾姿勢を取らされた香月の体が、転倒を避けようと足を一歩踏み出そうとするものの、その膝前には既にリオの左足が入り込んでおり、踏み出そうとする 。下半身の動きを妨害。その結果、支えを失った香月の体は右腕を後ろに捻り上げられたまま、床に倒れ込む。倒れる寸前に引き抜いた左足をその背中に乗せ、起きあがりを阻止しながらも体重をあまり掛けていないのは、リオの僅かな優しさだったのかもしれない。
 肩に添えていた左手でわざわざ指を1本立て、それを倒した後に香月の細い首筋に移動させながら、リオは言葉を続ける。右手は未だに細腕を捻り上げている。
「3つ。銃で脅すにしろ殺すにしろ、扱いの基礎も出来ていないあなたが1人で行うとは思えない。護衛が何人か付いていれば真実味もあったでしょうけど……それじゃさっきの2つに反しちゃいます。あと補足としては、別の世界から来た人間が、見た事もない銃の安全装置を知ってるわけがない、ということを気付かなかった事でしょうか」
 僅かな沈黙と間。うち破ったのは香月が漏らした溜息。
「はぁ……わかったわよ。確かに殺すつもりはないわ、でも脅す気はあったんだけど?」
「それならもうちょっと相手に注意するべきです。子供だからって、抵抗できないと思いこむのは素人ですよ」
「可愛げの無い子ねぇ……とにかく、はやいところ退いてくれない?」
 右手に未だに握っていた銃を手放し、降参という口調で言い放つ香月。その銃を取り上げながら体を避けるリオ。先程までの殺伐とした空気は、既に一片たりとも残っていなかった。
 倒れていた体を起こし、白衣の襟を正しながら香月は言葉を続ける。
「見くびっていた事は謝るわ。でも実際のところどういった要因なのか教えて貰えないかしら。あなたが万が一負傷した場合に役に立つし、私達にしても医療技術の発達に貢献できる。このご時勢、手足失った程度で引っ込まれちゃ結構困るのよ」
 微妙に懇願の色を浮かべながら紡ぎ出される言葉。今度は芝居か本音か、リオは見極めようとして、途中で辞めた。教えて損になる事ではないし、借りを作っておけば後々有利だからだ。というか、香月の視線が微妙に好奇心を孕んでいる所為もあるのだが。
 科学者って奴はこれだから……と内心で小さく毒づく。
「勿論、タダとは言わない。情報提供の報酬はそうね……この世界での衣食住を確保してあげられるわよ。もちろん営倉じゃないわ」
 このまま牢屋に放り込まれているのと、自由を手に入れるのならどちらが良い? と暗に語っている香月に、1秒未満で即決し答える。
「いいですよ。捕まってた身柄として考えるなら破格の待遇です。それ以上は望むべくも無いっと」
 笑みを浮かべ肯定するリオ。
「……あなたが搭乗していた機体については何もないの?」
 そちらの方が重要なのでは、という雰囲気で尋ねてくる香月。もっともリオにすればヴゥルカーンを調べられて困るような事はない。
「特に何も。第一、調べてもあなた達じゃ使いこなせないだろうし、戦力になるであろうボクもヴゥルカーンも、下手に消すわけにはいかないんじゃないですか?」
「本当に可愛げが無いわね……まぁ、確かにそうよ。今の人類には使える戦力を遊ばせておく程の余裕がないのよ」
 やはり。余裕があるならわざわざリオを捕まえたりはしないだろう。一見しても自分の機体とこの世界の機体じゃ、技術差が有りすぎるからだ。
 戦争に行き詰まっている人間が、目の前に現れた正体不明の兵器に飛びつかないわけがない。逆説になるが、行き詰まっていないのだったら、得体の知れない兵器をわざわざ手に入れようとは思わないはずだ。自身が持っている物で充分ケリが付くのだから。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものである。
「じゃあ、依頼は情報提供、報酬は衣食住ということで」
「いいわよ。それじゃ聞かせて貰えるかしら?」
 研究者としての好奇心を含んだ視線を、リオの方に向けてくる香月。やれやれと一旦嘆息したリオは、取り上げていた銃を返しながら、自身の中に溜まっている闇を吐き出そうとする。
「それじゃ始めましょうか」
 僅かに嫌悪感を滲ませながら、リオの口から過去話が始まった。



「以上です……あー疲れた」
「………そう。ご苦労様」
 言葉の割には余り疲れていないリオは話を切り上げる。反対に微妙に反応を遅らせながらも、香月は律儀に言葉を返した。その表情には、僅かな後悔と同情、そして探求心が満たされた達成感らしき物が鬩ぎ合っていた。
 その香月といえば、今は手元の通信機だろうか、それに向かって声を出している。どうやら誰かを呼びつけているようだ。
「何と言えば……いえ、何言っても変わらないわね。とにかく、話してくれたのだからこちらも約束は守るわ。流石にすぐには無理だけど」
「お願いします。で、今日はどうすれば?」
「ん……ちょっと待ってなさい。もうすぐお仲間が来るはずだから」
「仲間……?」
 リオの問には答えず、ただ入り口の方を顎で示す香月。振り向いたリオの視線の先で、軽い音と共に電子扉が開く。そこから1人の青年が飛び込んできた。
 衣服の上から見ても解るほどに引き締まった体と、表情に精悍さと少なからずの甘さを残すその青年は、周囲の事など目に入らないかのように一気に捲し立て始めた。
「夕呼先生! 新しい奴が来たってどういうことですかっ!?」
「落ち着きなさい、白銀。大きな声出さなくても聞こえてるわよ。それより渡した映像はちゃんと確認したの?」
「あ、それは勿論確認しました……って落ち着いてなんか居られませんよ!? こんな事記憶には無いんですから。それにあんな機体、前の記憶でも見た事もないんですよ。何なんですか、あの機体はっ!?」
 駆け込んで来るなり、いきなり喋り始める青年。自分と香月以外一切視界に入っていないかのような周囲への配慮を一切忘れたような行動に、しばらく置いていかれる事になるリオ。
「騒がしいわね……私が知ってる訳ないでしょ? 聞きたいなら本人に聞きなさいよ」
 そう言ってリオの方を指差してくる。そこで初めて気付いたのか、白銀と呼ばれた青年は大仰に驚く事となった。リオに訝しげな視線を向けながら、香月に尋ねる白銀。
「……こんなガキが、あの機体を操縦していたんですか?」
「ガキというのは失礼だと思うわよ? 少なくとも訓練兵の立場のあなたよりは働いてくれそうだから。とにかく自己紹介なさい、リオもよ」
 ようやく落ち着いたのか、座っているリオに視線を合わせようとしゃがみ込む青年。端から見れば、兄と弟のような光景。もっとも両者に共通する場所など有るはずが無く……いや、一つだけ有った。
 互いを探るような視線。兵士のそれを持っているのはリオだけではなかった。だが、しばらく睨み合いが続けているものの、双方とも得る物がないと察知したのか、一旦視線を外す。すぐに見合った視線は、先程の警戒心に満ちた視線ではなく、年相応の柔らかいものだった。
「初めまして……かな、オレの名前は白銀武。君と同じ、この世界とは別の所から来た人間だよ。名前は?」
「リオ・レムレース……です」
 意外と素直に帰ってきた言葉に、白銀は一瞬虚を突かれると、次の瞬間には小さく吹き出す。頬を緩ませながら会話を続ける。
「ああ、敬語なんていいって。なんだかこそばゆいだけだしな。オレの事は白銀でも武でも呼びやすいように呼んでくれ」
 馴れ馴れしいながらも悪い気のしない、ある意味話しやすい相手である白銀に、リオは少なからず気を緩める。目の前の青年は、自分に対して一片も警戒心を抱いていないように見えるのだ。ついでに言うと、当初の疑問であった「何故リオがここにいるのか」ということに対しての疑問を忘れさっている。
「そうで……そう? じゃあ、シロガネって呼んでいい?」
「オッケー、オッケー。じゃあ俺はリオ……ってなんだか女の子の名前みたいだけど……男だよな?」
 顎を引いて肯定するリオ。
「それじゃリオ、歓迎するぜ。このトチ狂った世界へようこそ」
 茶化した言葉と共に、手が差し出される。握手を求められていると気づき、リオもそれに応える。鍛えられた優しい大きな手と、柔らかい小さな手が組み合った。握った手を離すと、興味深そうに白銀がリオを覗き込んでくる。香月の視線とは違う、ただ単に不思議な物を見る時の視線だ。
「ほんっとに子供だなぁ。夕呼先生、本当にこの子……リオが操縦してたんですか?」
「レコーダーを確認する限りでも間違いないわ。でも、今はそんな事はどうでも良いの。とにかく今日はもう疲れたから、残りは明日以降ね」
「え……オレ、呼ばれたばっかりなんですけど」
「私が疲れたのよ。ちょっと色々あってね」
 そう言ってリオの方に意味深な視線を向けてくる。素知らぬ顔で受け流すリオ。白銀だけが話についてこれない。
「そういうことなら……あ、霞には会いに行ってもいいですか?」
「それも駄目。あの子もちょっと疲れてるからそっとしておいてあげなさい。それに時間が時間でしょ? リオ連れてPXでも行って来なさい」
「問題ないんですか? その……いきなりコイツが俺と居ても」
 躊躇いの視線を彷徨わせる白銀。それに対して香月は事も無げに語る。
「というか一緒に居て貰わないと困るのよ。下手に動かれて歴史が変わったらあなただって都合が悪いでしょ? 不確定要素は手元に置いておくべきなの」
 暗に、監視しておきたい、と語っている香月の視線。白銀はその事に気付かない。
「リオは先生やオレにとってのイレギュラーって事ですか」
 白銀が何気なく呟いた言葉。だが、聞き流せるはずのその台詞に、リオはピクリと反応する。
「イレギュラー……」
 消え入るように紡がれたその言葉はしかし、気付けた者はこの場には居なかった。リオを除く2人は、既にどうでもいいような話に入っている。
「……ん、ちょっと待って下さい。一緒に居ろってことは当然部屋も……?」
「当たり前じゃない。そんなすぐに用意できる訳ないでしょ? 一日ぐらい我慢しなさい」
「うぇ……だって人に見られたら誤解とか招きそうですし……」
 そう言って傍らの少年を見る白銀。何か? という風に顔を向けてくるリオ。警戒心が消え、あどけなさを残すその少年は、確かに『その道』の人間には人気が高そうだ。
 勿論白銀にそんな趣味はない、筈だ。
「それと、リオが訓練生の格好してるのは何でです? もしかして、コイツも207Bに入れるんですか?」
「ただ単に、C型軍装のストックが無いだけよ。あと子供が軍服来てても変でしょ? しばらくはその格好で居て貰うわ。あと訓練生にする気は無し。使える奴をわざわざ訓練生で時間潰させても意味無いでしょ。階級とかは後々あげるわよ。ついでにパスもね」
 リオを後目に、香月と白銀は言葉を交わしている。尚も言葉を吐き出そうとしていた白銀を、香月はその口を閉ざさせる。いい加減面倒になったようだ。手を振り退室するよう促す。ついでにリオにも。
 納得できないながらも逆らう事はしないのか、素直にリオを連れて退室する白銀。2人が消えた後に、香月は疲れを大きく溜息として吐き出した。
 と、香月1人だけが残された部屋に、もう一つの気配が生まれる。
 部屋の隅、うず高く積まれた本と、それを収めている本棚によって陰になっている場所から1人の少女が進み出てきた。
 美しい頭髪を、まるで兎の耳のように整えているその少女は、体型と顔立ちからリオと同年齢ほどと推測される。ただその表情はまるで作り物のように動かない。本棚の陰から姿を現したその少女の前に進み出た香月は二、三語話しかけ、少女が頷き返すのを確認すると、獲物を見つけた猛禽類の表情になっていた。



「おや、タケルじゃないかい。どうしたんだいこんな時間に?」
 白銀に連れられ、PX―――食堂にリオは居た。香月の部屋を退出した後、ちょうど空腹だった事もあり、基地内の案内ついでに此処に寄ったのだ。それを迎えたのは力強い女性の声。
「あはは……ちょっと夕呼先生に呼ばれててさ。それよりおばちゃん、何か残ってます?」
 カウンターに肘を突きながら、向こう側に気さくに答える白銀。
「時間が過ぎちゃってるからねぇ……合成うどんぐらいならすぐに出来るよ?」
「じゃあそれ二人前お願いします。ついでに合成緑茶もね」
「二人前? よく食べるねぇ」
「ああ、オレが全部食べるんじゃないよ。コイツの分もね」
 そう言って白銀がリオを指させす。背が高いとは言えないリオは、カウンターの陰で見えなかったようだ。割烹着を着た女性が覗き込んでくる。
「おんやぁ? 誰だい、その子? 初めて見る顔だね」
「リオって言うんだ。夕呼先生が引っこ抜いてきた、っていえば想像付くでしょ?」
 苦笑を浮かべながら答える白銀。女性は、夕呼ちゃん関連……と納得すると、興味深そうにリオを覗き込んでいる。
「この人は京塚志津江曹長。ここの炊飯関連を牛耳ってる御方だよ。みんなからは京塚のおばちゃんって呼ばれてる。ほら、リオも挨拶」
「……初めまして、リオ・レムレースです。えっと……今日からこの基地でお世話になる……事になりました。よろしくお願い……します」
 挨拶など慣れていないリオは、口籠もりながらも言葉を紡ぐ。それに対して女性は満面の笑みを浮かべる。夏の太陽のような嫌みの無い笑みだ。
「女の子みたいなだねぇ……男の子だろ?」
「俺も最初は間違えたけどね。間違いなく男だよ」
 もう一度まじまじとリオを見る京塚。やがて納得したのか何度か頷く。
「まぁ、とにかく歓迎するよ! 横浜基地へようこそ!」
 聞くだけで気力の沸きそうな力強い声だ。だが、決して五月蠅いわけでもなく、耳によく響く。
 白銀が双方の挨拶が済んだ事を確認したのか、間に入ってくる。
「じゃ、おばちゃん、これからリオの事もよろしく。早速だけど、合成うどんお願いします」
「はいよ! 二人前でいいのかい?」
「オレは一人前で充分だけど……リオは?」
 質問を投げ掛けられ黙考するリオ。しかし、その思考にあるのは今の空腹状況とそれによってどれほど食べられるかと言う事だけ。この辺りは子供のままだ。
「二人前で。大盛り出来ます?」
 その言葉に、一瞬虚を突かれる京塚。
「そりゃ出来るけど……そんなちっこい体に入るのかい? 無理は禁物だよ?」
 心配の色を浮かべる京塚。食事という物を切り盛りする以上、その怖さもよく知っている彼女は当然の反応を返す。だが、それに応えたのは小さく唇の端を持ち上げたリオの表情。
「曹長……いえ、京塚のおばちゃん。人を見た目で判断しちゃ駄目です。小さいからって少食とは限りませんよ」
 挑戦するような目つきで、京塚を見るリオ。ぽかんと口を開けた京塚も、次の瞬間には豪快に笑い出していた。
「あっはっはっ! いいねぇ、気に入ったよ! それじゃちょっと待ってな!」
 そう言って引っ込む京塚。その後ろ姿に白銀が「合成緑茶も!」と言葉を投げ掛けている。やがて、京塚が料理を始めたのか、白銀がトレーを二つ持ち、内一つをリオに渡してくる。
「ほいこれ。でもさリオ、お前ホントに食えるのか? ここの料理、結構量があるぜ?」「大丈夫だと思うよ。これでも蟒蛇って言われたんだよ」
 それは大酒飲みの事だ。誰だよ、リオに間違った言葉教えたの。心の中でツッコミを入れる白銀。
「まぁ、食えるんならいいけど……そうだ、リオ。お前歳幾つ? 見た目子供だけどさ、もしかしてすっげぇ老けてるとか? 妙に落ち着いてるように見えるけどさ」
「それはないって。歳ね……いくつぐらいに見える?」
「それはオレが聞いてるんだっての」
「だってわからないし」
「は? ……自分の歳わかんないのか?」
 いくら別の世界から来た人間とはいえ、自身の歳を把握していないとはどういう事か。しかし、当のリオ本人はさして気にもしないと言った雰囲気で喋る。
「ん、自分の歳教えてくれる人間なんて周りには居なかったから」
 何でもないように語られたその台詞は、額面通りに受け取れば、自我が確立した瞬間には親や身近な人物が既に居なかったと言う事。
 その結論に到達した白銀が、苦虫を噛み潰したような表情を作る。それに気付いたリオが、慌ててフォローする。
「あ、でもそんなに気にしてないよ? そもそも、生んだ親の顔なんて知らないし」
 その言葉は逆効果である。
「……ゴメン」
「なんでシロガネが謝るの? ボクが気にしてないんだから、シロガネも気にする必要なんかないよ」
「そうか?」
「そうだよ。はい、これでこの話題は終了。ついでにボク何歳に見える?」
「12歳……くらいか?」
「じゃぁボクの歳は12ってことで確定」
 無理矢理話を終わらせるリオ。それを待っていたかのように京塚が出てくる。
「あいよ、お待たせ! 合成うどん三人前だよ……って、タケルどうしたんだい?」
「何でもないよ、おばちゃん。……そう、待たされすぎて腹が減ったんです」
 沈んでいた所を気付かれた白銀が、表情を作り替え茶化す。京塚もそれ以上の言及はせず、大小の器をリオと白銀に押しつけてくる。
「そうかい? なんにせよ、満腹になれば少しは落ち着くよ。しっかり食べなっ!」
「ありがと、それじゃ頂きます」
 気遣いに感謝しつつ、器を受け取る2人。軽く手を振って奥に引っ込む京塚。
「さて、それじゃ堪能しますか……って、おい」
 振り向いた先では、既に椅子に座ったリオが器に箸を付けていた。一心不乱に食事を始めるその姿は、年相応の物だ。よく解らない安心感を持ちつつ、白銀もリオの対面に座る。しばしの間、人影の疎らな食堂に、麺を啜る音が響く。
「なぁ、リオ……」
「ふぁい?」
「飲み込んでから……まぁいいや……あのな、オレ実はこの世界二度目なんだ」
 沈黙をうち破った白銀は、急に神妙な顔つきになると箸を一旦止める。
「前の世界……オレ、朝起きたらいきなりこんな世界でさ、最初は凄ぇ取り乱したんだ。暴れるは夕呼先生に食って掛かるわで、今思い出すと恥ずかしい事ばっかりなんだけど……でも少しずつ周りに溶け込めて慣れ始めていた。こんな世界の人間が持ってる考えも解るようになってさ……これから衛士になって、戦場に出るんだって思ってた。まぁ、恐怖もあったけど……それ以上に、こんな狂った世界で自分に何が出来るのかが知りたかったんだ」
 箸を止めないまま、視線だけを向けてくるリオ。その視線は先の言葉を促していた。
「その矢先だよ。人類が負けたのは……いや、負けたってのは早いか。まぁどちらにせよ、ギリギリまで追い詰められてて、頭煮詰まった上層部の連中は、最終作戦を実行しちまったんだ」
 喋り続ける白銀。その口から吐き出される言葉は、もはや止まろうとしない。まるで蛇口から水が流れ出るように次々と溢れだす。
「G弾って呼ばれてる特別な爆弾を使用しての一大反攻作戦。オルタ……まぁとにかく、その作戦と一緒に付図されていたのが十万人規模の地球脱出計画だった」
 リオはただ聞きに徹するだけ。
「笑っちまうよ。これからだって時には、もう地球捨てて逃げてるんだから。勿論逃げられたのは一握りのお偉方だけ。その後は悲惨だった……反攻作戦も中盤までは上手く行ってたんだ。でも、時間を掛ける内にBETA共が対応してきて……結局G弾が無効化されちまった。その後は負けの一言。どんどん追い込まれて……」
 そこで口を閉ざす。言わなくてもわかるだろ? と視線で語りかけてくる白銀に、リオは顎を引いて答える。
「まぁ、オレにとっての幸運は……愛した女性をその十万人の中に入れられたのと、人類の最後を憶えてない事かな。憶えてても困るけどな」
 疲れた笑いを顔に貼り付けながら、自嘲気味に喋る白銀。その表情は、既に何十年も年老いているかのような錯覚を与えてくる。が、それも一瞬の事。すぐに元の青年に戻り、表情を引き締める。
「だからって訳じゃないけど……もう一度この世界に来ちまった瞬間に、今度こそ人類の滅亡を阻止するって決めたんだ。前回は愛した女性1人で手一杯だった、でも上手くやればもっと多くの人間が助けられるんじゃないかって思って。だから1日でも早く衛士になって、戦場に出て上を目指さなくちゃいけない。こんな訓練生じゃ力も権限も全くないからな。……そりゃ、人間1人に何が出来るって思う時もあるよ? でも何もしないで見てるだけなんて俺には出来ない。もう、あんな思いは嫌なんだ」
 僅かに明るくなった笑みを無理矢理貼り付け、言葉を締めくくる白銀。もう一度ハッキリとその目を覗き込めば、確固たる決意と信念が見えただろう。もっとも覗き込むはずのリオは、うどんの方に目が行っているのだが。
「……聞いてたか?」
 もっともな疑問をぶつける白銀。対して口の中の物を飲み込み、やっとリオが答える。
「人が疎らでよかったね」
「え? なんで?」
「さっきの話、ボクならともかく、別の誰かに聞かれた日には速攻で病院に入れられる。しかも聞く限り、重要情報も盛りだくさん。捕まれば良い方で、陰に連れ込まれて殺されても文句は言えない」
「あ……そうか」
 ようやく納得したのか、頷く白銀。
「上に立つとか言ってる人間が、そんな軽率な事しちゃ駄目。もうちょっと周りに気を配って」
 自分よりも年下に説教され、落ち込みかける。しかしリオは、表情に笑みを浮かべていた。
「まぁ、人類の滅亡云々はともかくとして……手助けして欲しいならそう言えばいいのに」
「え……信じるてくれるのか?」
 驚きを滲ませて身を乗り出してくる白銀。いくら自分と同じく別世界の人間だからといっても、いきなり未来を見てきただの、人類が滅亡しただのと言われれば普通はその人間の正気を疑う。
「少なくとも、シロガネが嘘言ってる気配はなかったよ。これでも騙し合いの世界に生きてきたから、それなりに眼はあるつもりだけど。もっとも……嘘付いてるにしては、神妙になりすぎてた所為だけど」
「うぐ……」
「よく言われるんじゃない? 顔に出やすいって」
 二の句が継げなくなる白銀。澄ました表情で茶を啜っているリオ。どちらが年上か解ったものではない。
「それにボクだって世界が終わるって決まってるのは嫌だ。死にたくはないしね」
「死にたくはない……?」
「そうだよ。護る、護りたい、そんな事以前に自分が死んじゃ意味がないよ。自分が一番、生き残りさえすれば何でも出来るんだから」
「……でも、何かを護る為に戦うっていう奴の方がこの世界には多いと思うぞ?」
「ボクの世界では生き残りが一番だった。そもそも、戦う事に複雑な理由付けする事がおかしいんだよ。死にたくない、やらなきゃやられる、相手を殺せば自分は助かる、理由なんてそれで充分。その次が金かな」
「…………」
「まぁ、シロガネがさっき言ったように、誰かを護る為ってのも悪くはないと思うよ」
「そうか……」
 根本的な考えの違い。リオは何が起ころうと自身が生き残ればそれでよし。白銀の場合、助かる人間は出来るだけ助けたい。相反する二つの理論は、2人の間に沈黙を落とす。
「なんにせよ、シロガネを手助けしてボクが生き残れるなら、協力するよ。さしずめ、ミッション内容はシロガネの護衛、報酬は自身と人類の生存って所かな」
「む……」
 茶化すリオにむっとした表情を向ける白銀。まじめな話を依頼、報酬と纏められたのだから、白銀にしても良い気分がするわけではない。
「睨まないでって。極論を言ったまでだから。それよりそれ……大変な事になってるよ?」
 そう言ってリオが指さしたのは、白銀の眼前に置かれている器。その中には合成うどんが入っており、それはものの見事に長時間放置された所為で、汁を吸って伸びていた。
「ああ、忘れてた! ってリオ、お前もう食べたのか!?」
 幾ら白銀が話していた間中箸を動かしていたとは言え、2人分のうどん、しかも大盛りを片づけるとは尋常ではない。
「食べられる時に手早く食べておくのは兵士の基本だよ?」
 合成緑茶を啜りながら、のんびりと語るリオ。その対面で必死に延びたうどんを片づける白銀。先程までの沈んでいた空気など、既に存在していなかった。



 後書き



 ここまでお読み頂き有難うございます。筆者のD-03です。
 やっと主人公の全体像を画けました。今までのリオの口調で予測された方も多いと思いますね。完璧に筆者の趣味です。
 さて、ここから舞台を横浜基地に移しての日常になりますが、恐らく白銀は今回限りだと考えます。必然的に分隊のキャラとは絡まなくなってきますのでその辺りは御容赦ください。
 また、作中で表現しているパラレルワールド云々は筆者の独自解釈によるものですので、公式とはまったく別物であると追記しておきます。
 さて、次回はヴァルキリーズから2人ほど出演予定があります。彼女達とリオのファーストコンタクト、どのようになるか筆者も想像できていませんが、出来るだけ皆様の御期待に沿えるよう努力していきたいと思います。
 では、次回もどうぞ、リオにお付き合いください