薄暗い室内で僅かな光源と共に数人の男の声が響く
『同志ラスィヤーニン。この報告は何だ』
モニターに映るソ連軍の高官の一人がトルストイ・ラスィヤーニンに高圧的な口調で問い詰める。
「はて、何だと言われましても私としては当然の事を言ったまでだが?」
だがトルストイは相手の態度など知らんとばかりにのらりくらりと返す。
『確かに披見体の休暇要請は構わない。だがその期間と滞在場所が問題だ』
「別に問題ではないでしょう。たかが三日で場所がセベロクリリスク基地。これの何所に問題が?」
『大有りだ!! あんな介護施設のような場所に連れて行ってどうする?!』
モニターの向こう側の男が机を叩く。
『まぁ落ち着きたまえ』
怒りを露にする男をもう一人に男が宥めるがその目はトルストイを鋭く睨みつけている。
『だが、同志ラスィヤーニン。明確な理由を教えてもらえないだろうか? 理由を話せばここに集まった全同志たちが納得するだろう』
トルストイは溜息をつきたい衝動に駆られたがそれを押さえ、あくまで冷静に答える。
「理由としましては、あの子等はまだ十代の年若い少女たちです。それを無理やり我等の都合で行使しても純然たる成果は望めないと判断したのですよ。それに十代というのは殊更人間として出来上がる時期、ならばより多くの物事を学ばせる機会を与えるのが良好かと」
ただの人形では意味が無いというニュアンスを籠めたトルストイの言葉を聞いて何人かは考えるように顎を手に添える。
暫く経って一人の男が口を開く。
『私は彼の意見には賛成だ。一科学者としては披見体のメンタル面の方を疎かには出来ないですしな』
彼の一言によって次々と賛同の声が上がる。
『……では同志ラスィヤーニン。クリスカ・ビャーチェノワ及びイーニァ・シェスチナの両少尉の休暇申請を遅くとも明日の17:00までに出してくれ。またイーダル小隊指揮官のイェージー・サンダーク中尉にも当然のように随伴してもらう。質問は?』
「ありません」
『結構。次の会合は被検体たちの休暇後に行う』
代表者の締めの言葉と共に次々とモニターがブラックアウトしていく。
そして全てのモニターが消えた瞬間、トルストイは古びた椅子に座ったまま屈伸運動を行いこった体をほぐす。
「まったく、彼等は余程私のことが信用できなくなっているな」
そう愚痴を零しながらトルストイは受話器を取り、ある場所に繋げる。
数回のコール音が鳴り響き、それが6、7回程繰り返されるが相手は一向に出ない。
「留守?」
『もしもし』
と、トルストイが受話器から耳を離した直後に相手側から漸く応答の返事が返ってくる。漸く出た相手にトルストイは安堵のため息を吐く気持ちを抑えながら親しげに口を開く。
「やぁ、香月博士」
『トルストイ准将? 態々どうしたのです?』
そうトルストイが掛けた相手は横浜基地の香月夕呼である。
「いやなに、ちょっとあの子の様子を聞きたいと思ってな。―――博士、トリースタは元気かな?」
先ほどの会合の時のような仏頂面とは違い今のトルストイは孫の事を気に掛ける好々爺のようである。
『えぇ、元気ですわ。プログラマーの方でも非常に優秀な子で此方としても助かってます』
「そうか」
『それと』
「ん?」
『それと今は社霞と名乗っています』
「それは博士が名付けたのですかな?」
『はい、でもあの子もこの名前を甚く気に入ってくれています』
「ヤシロ カスミ、か。良いじゃないか」
『それでトルストイ准将』
「なにかな」
『本題は何ですか?』
「………」
『態々、世間話をする為に専用の秘匿回線を用いた訳ではないでしょう』
トルストイは暫く黙っていたが、やがて大きくため息をつき口を開く。
「やれやれ、敵わないな」
『それほどでも』
「少しは謙遜したまえ」
『生憎、私は天才ですので』
「そうかい。では……本題に入ろう」
『……どうぞ』
二人は互いに小さく笑みを浮かべながら応酬するがトルストイは直ぐに真面目な表情に切り替える。それを察したのか受話器の向こうの夕呼も真剣な表情になる。
「亡命を頼みたい」
『……詳しくお願いします』
「勿論だ。亡命させるのは…」
『え? ちょっと待ってください! 亡命されるのは准将とその部下では無いのですか?!』
トルストイの言葉に夕呼は困惑の声を上げる。
だが無理も無い。夕呼としてはトルストイがソ連上層部に嫌気が指して亡命を望んでいたと思っていたのだから。
「いや、私は亡命しない。亡命するのはオルガ・テレンティア、セルゲイ・ラスィヤーニン、クリスカ・ビャーチェノワ、イーニァ・シェスチナの四名の衛士に整備兵15名だ」
『シェスチナ? まさか…』
シェスチナの名を聞き夕呼はある人物との類似点を見つける。
「そうイーニァ・シェスチナはトリースタ・シェスチナ、社霞の姉だ。そしてクリスカ・ビャーチェノワもまた同じく」
『第三計画はその全てを第四計画に移譲しなかった。そういうことですね』
「そうだ」
今日何回目か分からない重いため息をトルストイは吐く。
『分かりました、受け入れましょう』
「ありがとう。香月博士」
安堵の表情をするトルストイ。トルストイにとって彼女等は娘や孫も同然の存在で、それを自分等のような老害の都合で使いつぶすなんて気分の良いものではなかったのだ。
だからこその亡命である。
が、ここで一つ夕呼から忠告、もとい提案を講じられる。
『トルストイ准将、一つ提案が』
「何だね?」
『私の方で彼女達を預かるのは構いませんがこちらは国連軍です。しかも国土は日本です。これは色々と問題があると思われますわ。幾ら私に第四計画の権限があろうと限度があります。彼女等の存在を隠し続けるのもいづれは他にばれますし日本とソ連は日露戦争やその後の世界大戦、冷戦の影響もあってか帝国軍や斯衛の上はそこまで良い印象は持ち合わせては居ません。それにもしかしたら第五計画の連中が嗅ぎ付けて来るかもしれないです』
「否定はできないな」
そう、否定は出来ない。
もしもクリスカとイーニァの存在を知ったら各国が彼女等を手に入れようと動き出すだろう。そうなれば色々な所で支障が発生するし最悪の場合、暗殺者が送られてくる事もありえる。
夕呼に取って彼女等は諸刃の刃である。しかし同時にそこまで欲しいと思う程の存在ではないが、どちらかと言えば、やはり本音では欲しい所である。
「ではどうすればいい?」
『レイヴンズネストです』
「レイヴンズネスト……!?」
そう、夕呼が提示したのはレイヴンズネストである。
「……理由は?」
『レイヴンズネストはご存知のとおり傭兵部隊です。彼等に国境や国の正義はありません。彼等にあるのは“自分達の正義”と“矜持”です。自分達に害を及ばさない限り彼等は常に中立ですし勿論のこと人種の是非は問いません。正体不明の彼等に警戒して他所の勢力も手を出し辛い筈です』
確かに、とトルストイはうねる。
「あの子達の身の保障は確約できるのかい?」
『より死地に近づきはしますが、少なくともそれ以外では首を縦に振れます』
「分かった。香月博士、君を信用しよう。………だがもし私の信用を裏切るような真似をすれば…」
『分かってます。その時は呪い殺すなり化けて出てくるなり如何様にもしてくれて構いませんわ』
「ありがとう」
トルストイは受話器を持ったまま静かに頭を下げる。
『いえ。ではトルストイ准将、御機嫌よう』
夕呼はそう言い、互いに受話器を置く。
無音の空間。そこに一つの音声が鳴り響く。
扉をノックする音を聞いたトルストイは外にいる相手に威厳に満ちた声音で「入れ」と言う。
「失礼します。セルゲイ・ラスィヤーニン、ただ今出頭致しました」
セルゲイ・ラスィヤーニン。
ファミリーネームから分かるとおりトルストイの息子である。しかも血の繋がった一人息子。妻は衛生科に所属していたが最前線勤務だったため数年前に他界している。
「セルゲイ、二日後の3月8日にお前とオルガ、そしてイーダル小隊の三名に休暇を与える。無論、私も随伴する」
「急ですね。何か訳有りで?」
「細かい事はグダグダ言わん、率直に簡潔に言うぞ。―――お前はオルガとスカーレットツインの二人と一緒に日本にいる香月博士の下へ亡命し、その後は博士の指示に従いレイヴンズネストに合流するんだ」
「………」
突然の命令内容にセルゲイは閉口する。まぁ、人形で無ければ当然の反応だなっと、トルストイは何処か他人事のように思う。
そして漸く搾り出した一言は
「正気ですか……?」
息子の、とうとう父にも痴呆が来たかというニュアンスの入った一言がトルストイの胸に突き刺さる。
「私は正気だよ」
「では何故?」
「上のやり方にいい加減、愛想が尽きた」
「………」
再び閉口するセルゲイ。
「ちなみに強制だからな、拒否権は当然のように無い」
セルゲイは額に手を置き父と似たような盛大なため息を吐く。そしてヤケクソ気味に。
「分かりました! 分かりましたよッ!! セルゲイ・ラスィヤーニン大尉、その任務を精一杯努めさせて頂きます!」
「うむ、頑張ってくれ」
早口で捲くし立てながら敬礼し立ち去ろうとする、が、扉の前で立ち止まり一言確認の意味をこめて聞く。
「……准将、いえ、父さん。死ぬ気ですか?」
息子のその問いに父は。
「私は戦場で長く生き過ぎた。…それに……それに、もう頑張るのは疲れたのだ。だから私を母さんのトコロへ行かせてくれないか」
セルゲイは何も言わず静かに退室する。
残るは老将の疲れきった小さなため息のみ。
後書き
第三章外伝その3終了。
前中後編の三部作です。
あぁ、次は漸く紅の姉妹の二人が出せれるよ。
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